至福のとき:張芸謀

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張芸謀の2000年の映画「至福の時(幸福時光)」は、莫言の同名の短編小説を映画化したものだが、非常に単純な筋なので、莫言を意識せずに、虚心坦懐に見たほうがよい。莫言といえば、壮大な文学世界を想起するので、つい身構えがちになるが、この作品は、どんな身構えも意味を持たないくらい、わかりやすい。

ごく単純化していえば、善良な人々の善意ある生き方を描いたものだ。親に捨てられた盲目の少女を、貧しいながらも気のいい人たちが、なんとか力になってやろうとして励ますというような内容である。悪意ある人間も出て来るが、それは映画に多少のスパイスを加えるための添え物のようなもので、とにかく底抜けに正直な人々が、精いっぱい自分のできる範囲で少女を助けようというのである。

張芸謀は、善良な庶民のけなげな生き方を描くのが得意で、「生きる」や「あの子を探して」は見る者の感動を誘ったものだが、この映画もその系譜に属する。

文無しの中年男がやっと結婚できる見通しがつく。相手の女はぶくぶくと肥っていて、お世辞にも美人とは言えないのだが、肥った女は情がやさしいと信じている男は、彼女との結婚を喜ぶのだ。ところが彼女には子供が二人いて、そのうちの一人は自分のコピーのようなデブ小僧なのだが、もう一人は出稼ぎに出かけた亭主が置いて行った娘(盲目の少女)なのだった。その娘が家出をしたところ、心配した主人公(文無しの中年男)が探し出し、面倒を見る羽目になる。その過程で色々なことが巻き起こるというわけで、いわばヒューマンコメディのような体裁になっている。

タイトルの「至福のとき」とは、もともとは廃バスを活用したラブホテルの名称だったものが、盲目の少女が、自分が善良な人々に囲まれて暮らした短い時間のことを「至福のとき」と呼んだことにちなむ。

最後は、主人公の中年男が結婚に失敗したあげくトラックにひかれて重体になり、一方少女のほうは、迷惑をおそれて再び家出するシーンで閉じる。主人公や盲目の少女がその後どうなったか、映画は一切を語らない。






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