下山抄:日蓮を読む

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下山抄は、建治三年(1277)日蓮55歳の時に書かれた書状である。あて先は甲斐の下山光基という。光基の弟子稲葉坊日永が日蓮にしたがって法華経に帰依した。光基は念仏行者であり、稲葉坊に阿弥陀堂を守らせていたのであるが、その稲葉坊が念仏を捨てて法華経に走ったというので、光基はいたく怒った。その怒りを解くために、日蓮が稲葉坊にかわって弁明の書状を書いたと言われる。弁明の書であるから、折伏の攻撃性はやわらぎ、相手を説得しようとする熱心さがうかがわれる。じっさい光基はこの書状が大きなきっかけとなって日蓮に帰依するようになった。そういう点では、人を説得する力を感じさせる文章である。

この文章は、法華経のありがたさを説くのみならず、日蓮が生涯に被った迫害を懐古し、その迫害にもめげずに法華経を受持してきたのは、ひとえに日本国のためを思うからであるという熱意がほとばしり出ている。いまは末法の時代であり、末法の世こそは法華経が重んじられるべきにかかわらず、人々はかえって法華経を貶めている。それは法華経の行者である日蓮がたびたび命を狙われたことにあらわれている。そのために、神仏は日本国に愛想をつかし、外国をして日本国を攻め滅ぼさせようとしている。じっさい蒙古襲来があったではないか。このままでは日本は滅びてしまう。そうさせないためには、法華経を受持して仏の道を実践するしかない。日本のあらゆる人々は、ほかの宗派をすてて、ひとえに法華経に帰依すべきである、というのがこの文章の大意である。

このように法華経を前面に立てたうえで、日蓮は単に法華経の一行者たるにとどまらず、日本国の救世主である、という抱負が語られる。その抱負は、「予は日本国の人々には、上天子より下万民に至るまで三の故あり。一には父母なり。二には師匠なり。三には主君のお使いなり」という言葉となり、さらには、日蓮は「教主釈尊よりも大事なる行者」という言葉にまで高まる。もっともその大事さは、今危機に瀕している日本にとってという意味であり、日蓮がすべての仏教徒に対して釈尊よりえらいということではない。とはいえ、日蓮の信者の中には、日蓮のこの言葉を以て、日蓮本仏論の根拠とするものもいるのではあるが。

この書状にはまた、法華経をめぐる教義上の諸問題についてもコンパクトに触れられている。そんなことから日蓮の思想を俯瞰するのに都合がよい。日蓮自身の書いた日蓮入門といった体裁を呈しているわけだ。それは、念仏者を相手に、法華経のありがたさを丁寧に説明するという意図に出たものと考えられる。

ここで示されている教義上の問題とは、神仏儒三者の関係、正像末三時の摂理、上行菩薩が末法に出現することの意味と日蓮自身がその上行菩薩にほかならないこと、真理の根拠としての現証の意義、などである。要するに仏教は人間にとって最後に現れた思想であり、そのなかでも大乗経はもっとも高度なものであり、しかもその頂点に法華経が位置するという主張である。この主張に基づいて、念仏をはじめほかの仏教教派が否定されるのだが、書状の宛て先が念仏行者ということもあって、念仏への攻撃はやや温和なものとなり、そのかわり真言が激しく攻撃される。「立正安国論」では、念仏が激しく攻撃される一方、真言は天台と同じく肯定的に語られていたわけだから、日蓮の立場の変化がうかがわれるところである。要するにこの時点での日蓮は、法華経絶対主義の立場に立っているわけである。

ともあれ、一念三千とか久遠実成とかいった法華経の教義上の内容について踏み込んではいない。それはとりあえず法華経者となったばかりの弟子のために弁明するというこの書状の性格がしからしむるところだろう。

ひとつ、重要なことがらで日蓮が一段と踏みこんでいるものがある。仏説の真理性をめぐる根拠についての考え方である。これには文証、道理、現証の三つがあるが、このうち日蓮が多年にわたって重要視してきたのは文証である。これは仏典の記述に根拠を求めるというもので、日蓮の場合には、法華経及び涅槃経に記載されていることが、ものごとの根拠として引かれる場合が多かった。だがこれは、法華経の正しさを証明するために法華経の記述を根拠とする循環論法におちいる。それを日蓮は意識していたのか。この文章のなかでは現証を重視している。現証というのは、事実を証拠として持ち出すもので、誰にとっても説得力を持つ証拠だ。

日蓮がこの文章の中で持ち出している例は、両火坊による雨乞いである。両火坊は真言の祈祷により雨を降らせようとしたが、一向に降ることがなかった。それは真言の祈祷に雨を降らす効力がないためだ、そう日蓮は言って、実際の出来事を因果関係の証拠として用いたわけだが、これは日蓮の議論としては例外に属するのではないか。現証は、仏敵を論駁する際の根拠としては使用されても、法華経の功徳を強調するさいの根拠としては用いられることはなかったといってよい。法華経の功徳の根拠はあくまでも法華経の中に求められるのである。

この書状の最後に日蓮は、仏の道は親子の道に先立つと言い、その仏の道を体現している日蓮にこそみな従うべしと強調して、相手に対して法華経受持を勧めるのである。いわく、「悉達太子は閻浮第一の孝子なり。父の王の命を背きてこそ、父母をば引導し給いしか。比干は親父紂王を諫暁して胸を鑿たれてこそ賢人の名をば流せしか。賤しみ給とも、小法師が諫暁を用ひ給はずば、現当の御歎きとなるべし。是れは親の為に読みまいらせ候はぬ阿弥陀経にて候へば、いかにも当時は叶うべしとはおぼへ候はず。恐恐申し上げ候」

親のためにもならぬ阿弥陀経など捨てて、法華経を読みなさいということだろう。





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