民主主義を語る

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四方山話の会のフルスケールの会合を、半年ぶりに催した。会場は例によって新橋の焼鳥屋、集合時間は午後五時、メンバーは、岩、梶、浦、柳、福、石、島の諸子に小生を加えた八名。もっとも八人揃ったのは七時ごろになったが。

この日は、浦子から民主主義についての彼の考えを話したいという申し入れがあったので、まずはその話を聞くことにした。彼は、A4用紙三枚に印刷したレジュメをもとに、彼の考えるところの民主主義について話した。彼によれば、いまは全体主義が民主主義に大きな脅威となっている時代だ。それを彼は新全体主義という。彼がいう新全体主義とは、プーチンのロシアと習近平の中国をさす。そこでかれの話は、この二つの国がいかに民主主義と無縁であるか、それどころか脅威になっているかについて強調し、民主主義を守るためにこの二つの新全体主義と戦わねばならない。いまとりあえずプーチンと戦っているウクライナを応援しようではないか、また台湾は、民主主義を守るという名目で独立させてやったほうがよい、というようなことを話した。

バイデンが聞いたら喜びそうだなと思いながらも、小生は浦子の話に不足を感じた。プーチンのロシアと習近平の中国が民主主義と無縁なことは、いまでは常識的な認識となっており、浦子があらたまって強調するまでもない。いまもし民主主義を問題にとりあげるなら、ロシアや中国ではなく、欧米や日本における状況をとりあげたほうがよい。というのも、ここ数年の日本の政治は民主主義とは相反する傾向を強めており、世論も右傾化している。だからそういうことにこそ目を向けるべきなのではないか、と言ったところ、自分の話は議論のとっかかりを提供することにあるから、そういう問題意識は別途とりあげて議論してもらいたいと浦子は開き直ったのであった。

そこにめずらしく福子が介入し、民主主義を論じるには三つの視点があると言いだした。一つは統治論としての民主主義、二つ目は自由とか平等とかいったものと民主主義とのかかわりである、と。統治論としての民主主義論からは自由とか平等といった理念的なものは脱落しがちなので、そこは気をつけねばならない。そう福子が言ったところが、梶子も議論に加わって、平和の視点も必要なのではないかと言った。なにしろ我々の学生時代には、平和と民主主義が合言葉だったからね。そこで平和と民主主義をめぐる学生時代の思い出話に花が咲いて、福子が提示しかけた三つ目の視点は議論の俎上にはのぼらなかった。

こんな具合で議論が盛り上がった頃に島子がやってきたので、かねての打合せ通り、彼が計画中という自伝の概要について説明してもらった。島子によれば、目下執筆中の自伝が近々完成するので、それを自費出版したいと思っている。ついては諸君にも読んでほしいと。すると浦子が、自費出版の費用はどのくらいかねと聞いた。島子応えて曰く100数十部印刷して240万円ぐらいだと。浦子言う、そんなに金をかけなくてもできるよ。原稿さえきちんとしていれば、それをもとに俺の知っている印刷業者にせいぜい40万円程度でやってもらえるよ。すると島子は、それは印刷代だけで、宣伝はやってくれないんだろ、と心配する。島子本人はかなり大袈裟に考えているようである。できれば国会図書館にも持ち込んでもらいたいというつもりらしい。国会図書館は、どんな出版物でも引き取ることになっているから、自分で持ち込んでもよいのさ、と小生はアドバイスしてやった。

ところで、肝心の本の内容については、学生時代の体験が中心で、色々な人を仮名で登場させるから、その中に自分のことが書かれていても、悪く思わないでほしい。そう言いながら、かれはいくつかの仮名をあげたのだったが、もっとも印象的だったのは、〇男という名であった。〇男本人の実像については、小生も強い印象を持っているのだが、島子もやはり強烈な印象を受けたらしかった。

そこで、学生時代に触れ合ったさまざまな人間についての思い出話に花が咲く次第となった。みな女子学生たちのことをよく覚えている。小生がまったく覚えていない名がポンポン飛び出てくるので、この連中が異性にも強い関心を持っていたことがよく分かった。小生には、強い印象を持った女性はほとんどいないが、ひとり非常に肉感的な尻をした女性がいて、その名を思い出せないと言ったら、それは×女だろうと誰かが発言した。

女の話ばかりでは締まりがつかないとあって、柳子などは、なにか高尚に聞こえる議論をしていたが、なにせ酔いが回っていることもあって、よく覚えていない。

こんな具合で、今宵も和気藹々と、ときには大声でどなりあいながら、空論に熱中した次第だった。宴会終了後は、時節柄そのまま切りあげて帰ってきなさい、と家人から言われていたのであったが、福子も今宵は二次会に付き合うと言い出したので、小生も加わることとし、浦子行きつけの地下のバーに席を移した次第。結局帰宅したのは11時近くになった。





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