常州に向かう船の中で、大病(おそらくアメーバ赤痢)にかかった蘇軾は、やっとの思いで常州に到着すると、ついに臨終の床についてしまった。そこへ親友の銭世雄が一日おきに蘇軾を見舞った。蘇軾は晩年に書き溜めた文章(論語、書経、易経の注釈書など)を銭に託し、自分の死後三十年たったらそれらを公刊するようにと指示した。
七月の下旬になって、回復の望みがすべて断たれたことを、蘇軾は悟った。その悟りの床に、黄州時代の友人維琳長老が訪ねてきた。長老は蘇軾に仏教の呪文を唱えるように勧めたらしい。しかし蘇軾は笑って答えたという。「鳩摩羅什はどうでしたか、彼もまた死んだではありませんか」
呪文を唱えても無駄だといいたかったのだろう。
径山の琳長老に答ふ
與君皆丙子 君と皆丙子
各已三萬日 各々すでに三萬日
一日一千偈 一日一千偈
電往那容詰 電往 那ぞ詰るべけんや
大患縁有身 大患は身あるに縁る
無身則無疾 身なければ則ち疾なし
平生笑羅什 平生 羅什を笑ふ
神咒真浪出 神咒 真に浪りに出づ
あなたとわたしはともに丙子(ひのえね)の生まれ、ふたりともすでに三萬日も生きてきたわけです、一日一千偈を唱えたとしても、月日があっと過ぎ去るのを咎めるわけにはいかない、
大患も身があればこそ、この身がなくなれば病もなくなります、わたしは平生鳩摩羅什のことを笑っているのです、彼は臨終に臨んでやたらと呪文を唱えたといいますから
これが蘇軾の辞世の詩になった。敬虔な仏教徒であったにも拘わらず、蘇軾が仏教の呪文にあの世への旅立ちを託すことができなかったのだとすれば、我々後世の人間はそれをどううけとったらよいのだろうか。筆者のよくわかるところではない。
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