夏 中華の源流

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夏は中国の初代王朝に擬せられているが、これまで考古学的な発掘によって裏付けされたことがなかったので、幻の王朝ともいわれてきた。しかし近年になって、河南省で発掘調査が進み、その中から現れた二里頭村の遺跡が夏ではないかという観測が強まった。もしそれが本当なら、中国史の解明は飛躍的に進むだろうと思われる。その二里村の遺跡について、NHKが取材のうえ報道を行った。(中国文明の謎 第一集 中華の源流 幻の王朝を追う)

二里頭遺跡は河南省北西部の偃師市で1959年に初めて発掘された遺跡で、中国最古の宮殿建築物が中心となっており、それを囲んで2万人ほどの人々が生活していた跡が発掘された。

年代は紀元前1800年から同1500年くらいと推測されている。夏の都そのものかもしれず、あるいは夏の勢力圏にあった一古代都市の遺跡かもしれない。いずれにしても、殷より更に古い時代の遺跡が発見されたことで、夏の存在が浮かび上がってきたわけである。

中国の伝説によれば、夏は㝢によって建国された。㝢は洪水をコントロールすることによって人身を掌握し、中国最古の王朝を立てたということになっているが、考古学的に見ても、紀元前2000年までの中国は洪水や干ばつを始め気候変動に翻弄されていたことがわかっている。㝢はそうした気候変動による災害をコントロールすることによって権威を確立し、中国最初の王朝を立てたのではないかとみられている。

研究によれば、二里頭文化は当時における中国の唯一の文化ではなかった。その時代の中国には、華北、陝西、湖北、江南、淮河流域にそれぞれ多彩な文化が成立していたものと考えられている。そのなかでも二里頭は、様々な文化が流れ込んでいることから、中国諸地方の文化を集約するような位置にあったと思われる。

二里頭文化にはいくつかの重要な特徴があるという。まず、トルコ石で作られた龍の文様だ。龍の文様は青銅製の銅爵や玉璋にも施され、宮廷儀礼に用いられていたと思われる。龍は王朝のシンボルとして、その後歴代の中国王朝によって受け継がれていくことになる。

二里頭の宮殿の様式も、歴代中国王朝につながるものだ。南に門を構え、その奥に南面した宮殿群を一直線上に配置し、周囲全体を回廊でつなぐというものである。

また、穀倉からは5種類の穀物が発掘された。それらの穀物は中国各地でそれぞれ栽培されていたものだ。それらが一堂に会した形で集中していることは、二里頭遺跡が中国文化の中心に位置していたことを推測させる。

中華はもともと中夏とも書かれていたという。そのことからも、夏が中国文明の源流であることが納得される。

その中国文化のもっとも重要な特徴は何か。それは、人々が神ではなく王を敬う文化なのだと番組はいっていた。中国人は抽象的でかつ普遍的な権威によって社会を律するのではなく、具体的な人格である王が社会を律していく文化だというわけである。このことから中国に特徴的な、法治よりも人治を優先させる文化が生まれてくるといえるのかもしれない。


関連サイト:中国の歴史と文化 





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微かな証拠から、古代を想像する、、、
未来の(奔放な)想像とは違って、
それは{論理と神秘}が溶け合った(厳かな)推論ですね。

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