始祖王ホムダワケ(応神天皇)

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応神天皇は、仲哀天皇が神の託宣を無視したことを咎められて死んだときに、神功皇后の腹に宿っており、やがて皇位を継ぐと神によって告げられていたと古事記にはある。しかし実際に生まれたのは、神功皇后の新羅遠征後のことであり、仲哀天皇の死後かなりたってからのことである。そんなところから、その出生については不可解なところが多い。

古事記や日本書紀の記述からわかることは、応神天皇と朝鮮半島との間に深いつながりがあるということである。そもそも神宮皇后が朝鮮半島に遠征した時には、その腹の中にあり、日本に戻ってから生まれたとされているのであるから、見様によっては、朝鮮半島からやってきた王ともいえる。

またその治世には、朝鮮半島から大勢の人々が渡ってきた。それらの中には日本に高度な技術を伝えた人々もあった。百済国王が「論語」十巻と「千字文」一巻を遣わしたのも応神天皇の時代である。

アメノヒボコが逃げた妻を追いかけて、難波までやって来たところ、海神に妨げられて但馬に留まったという記事が古事記にはあるが、その但馬は渡来人たちの一大拠点となったところだ。

こんなわけで、応神天皇は朝鮮半島由来の新しい王朝の祖先なのではないかとの憶測も生まれた。それを別としても、応神天皇がそれ以前の皇室の系譜から断絶した新しい王朝の始祖である可能性は高い。そんなことから、応神天皇に始まる王朝を難波王朝と呼び、今日の皇室につながる王統の始まり、つまり始祖王としてみる見方も生まれた。

応神天皇は神宮皇后とともに八幡神社に祀られているのであるが、そのことは、皇室がこの天皇に特別の親愛感を持っていたことの表れであるともいえ、応神天皇の始祖王としての性格に一定の根拠づけを与える所以ともなっている。

ところで応神天皇は、その名を神の名と取り換えたと古事記にはある。神功皇后の記事の中の話だ。タケウチノスクネと共に角鹿(敦賀)のあたりにやってきたとき、土地の神イザサワケノオホカミが夢の中に現れて、「吾が名を御子の御名に易へまく欲し」といったとあるのだが、そこで交換した名前がホムダワケだとは言っていない。ともあれ応神天皇はホムダワケとして、軽島の明の宮に皇居を置いて、天下を支配した。

古事記の記す応神天皇には、大きな功績と言えるようなものがなく、あるのは求婚の話ばかりである。その一つとしてユーモラスな話がある。

天皇が近江巡行の途次木幡村に立ち寄った際、麗しい乙女と出会った。名を聞くと、ワニのヒフレノオホミの娘ヤカハエヒメと名乗る。気に入った天皇は明日巡行の帰りに改めて立ち寄ろうと言い残して去った。そのことをヒメが父親に話したところ、父親は、それは天皇であるからお仕えせねばならぬと言って、翌日天王を迎えて大宴会を催す。その場で天皇は歌を歌う。それがまた愉快な歌なのである。

  この蟹や 何処(いづく)の蟹 
  百伝(ももづた)ふ 角鹿(つぬが)の蟹 
  横去(よこさら)ふ 何処(いづく)に到る 
  伊知遅島(いちぢしま) 美島(みしま)に著(と)き 
  鳰鳥(みほどり)の 潜(かづ)き息づき 
  しなだゆふ 佐佐那美道(ささなみぢ)を 
  すくすくと 我が行(い)ませばや 
  木幡(こはた)の道に 
  逢(あ)はしし嬢子(をとめ) 
  後姿(うしろで)は 小楯(をだて)ろかも 
  歯並(はな)みは 椎菱如(しひひしな)す 
  櫟井(いちひゐ)の 丸邇坂(わにさ)の土(に)を
  初土(はつに)は 膚赤(はだあか)らけみ 
  底土(しはに)は 丹黒(にぐろ)き故(ゆえ) 
  三(み)つ栗(ぐり)の その中つ土(に)を 
  かぶつく 真火(まひ)には当てず 
  眉画(まよが)き 濃(こ)に画(か)き垂(た)れ 
  逢(あ)はしし美女(をみな) 
  かもがと 我が見し子ら 
  かくもがと 我(あ)が見し子に 
  うたたけだに 対(むか)ひ居(を)るかも 
  い添ひ居(を)るかも

角鹿(敦賀)の蟹が佐佐那美道(琵琶湖の道)を通って木幡までやってくると、乙女に出会った、後ろ姿は盾のよう、歯並びよろしく、眉毛は濃い、まさに美女と言うべきだ、そんな美女と、こうして向かい合っている俺様は幸せ者だ、という意味だろう。

ホムダワケが、求婚話に蟹を持ち込んでいるのにはわけがあると、神話学者の三浦佑之氏はいう。この歌は、もともとは、越前ガニとメガニとに扮した役者どもが、所作を交えながら歌い踊った歌謡に起源があるのではないかと言うのである。

万葉集には乞食人たちが歌ったという歌謡が二首収録されているが、それらもまた、芸能者が所作を交えながら歌い踊った歌謡だろうと推測されている。古事記に収められたこの歌も、そうした古代歌謡のひとつだったと推測される。そうした歌謡が、天皇の求婚話の中に組み入れられたのではないか、そう三浦氏はいうのである。


関連サイト:日本神話 





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