淳熙十四年(1187)63歳の時に、陸游は当時の任地厳州において初めて詩集を刊行し、剣南詩稿と名付けた。剣南とは蜀の異名である。陸游にとって蜀は、壮年時代の8年間を過ごした懐かしい土地であるとともに、金と対峙する第一線の地でもあった。それ故陸游にとっては、色々な意味で忘れられない土地であった。その土地の名を自分の詩集に冠したのには、陸游の蜀への深いこだわりがあることを感じさせる。
この詩集には、陸游の青年時代の詩が余り収められていない。それはその時代に作った詩を、陸游自身満足に足らぬ中途半端なものと判断したからだろうと思われる。
この詩集の冒頭を飾るのが、「別曾學士」である。曾學士とは曾畿のこと。陸游同様主戦論を唱えて秦檜に迫害された気骨ある役人であるとともに、江西派の詩人として、高い名声を持っていた。
陸游がいつごろ曾畿の指導をうけたか、詳しいことは分からないが、文学史上一応は、陸游は曾畿の弟子ということになっている。
曾學士と別る(ここでは詩の前半を紹介する)
兒時聞公名 兒たりし時 公の名を聞き
謂在千載前 千載の前に在りと謂(おも)へり
稍長誦公文 稍や長じて 公の文を誦し
雜之韓杜編 之を韓杜の編に雜(まじ)ゆ
夜輒夢見公 夜は輒ち夢に公を見る
皎若月在天 皎として月の天に在るが若し
起坐三歎息 起坐して 三たび歎息す
欲見亡繇緣 見えんと欲して繇緣亡し
忽聞高軒過 忽ちに高軒を過らると聞き
驩喜忘食眠 驩喜して食眠を忘る
袖書拜轅下 書を袖にして轅下に拜す
此意私自憐 此の意私(ひそ)かに自ら憐れむ
子どもの時にあなたの名を聞いて、千年も昔の人だと思っていました、やや成長しては、あなたの詩を読み、韓愈や杜甫の詩集とともに親しんだところです、
夜あなたを夢に見れば、月のように皎々と輝いていました、そこで起き上がってはため息をつき、あなたとお会いしたいと思うのですが、その伝手がないのを残念に思っておりました
ところがあなたがやってくると伺い、喜びの余り寝食を忘れる程です、あなたの本を袖の下に隠し轅下に拝したい、こんなささやかな気持ちを抱いているのでした
関連サイト:漢詩と中国文化
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