陸游は夢を詩の題材にとることが多かった。そのなかで、沈園での唐婉との出会いは、何度となく夢見たらしく、それを詩の題材にしたものがいくつかある。開喜元年(1205)81歳の時に作った詩(絶句二首)も、そんななかの一つだ。
十二月十二日晚、夢に沈園に游ぶ
(其一)
路近城南已怕行 路は城南に近づいて已に行くを怕る
沈家園裏更傷情 沈家の園裏 更に情を傷ましむ
香穿客袖梅花在 香は客袖を穿って梅花在り
綠蘸寺橋春水生 綠は寺橋を蘸(ひた)して春水生ず
道が城南に近づくとそれ以上歩くのが辛くなる、沈家の園の中に入れば更に心が痛む、梅の香りが袖のあたりに漂い来たり、橋のあたりには緑が生い茂って水にも春の気配が感じられる(城南:沈家の園は紹興の南にあった)
(其二)
城南小陌又逢春 城南の小陌に又春に逢ふ
只見梅花不見人 只梅花を見るのみにして人を見ず
玉骨久成泉下土 玉骨 久しく泉下の土と成り
墨痕猶鎖壁間塵 墨痕は猶ほ壁間の塵に鎖ざさる
城南の小道でまた春に出会った、しかし梅の花は見えても人の姿は見えない、彼女の骨はずっと前から泉下の土になってしまったが、私が書いた墨の跡はまだ壁間の塵の塵にまみれなから残っている(ここでいう人とは唐婉をさす、墨痕とは50年前に陸游自らが記した墨の痕のこと)
なお陸游は84歳の時にも、夢に沈園を訪れたことを、詩に歌っている。よほどそのことが、忘れがたかったのだろう。
関連サイト:漢詩と中国文化
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