クリストフォロスとは、ギリシャ語で「キリストを担う者」という意味である。そんなことから、聖クリストフォロスの像には、このように、キリストを背負ったイメージが結びついた。実際のクリストフォロスは3世紀頃の人であり、キリストの同時代人ではなかった。
この絵の中で、聖クリストフォロスは赤い法衣を背中でからげ揚げ、その上に少年を背負いながら、川を渡っている。川岸には人間と犬が描かれているが、それらと比べて、クリストフォロスは余りにも巨大だ。
伝説によれば、巨人のクリストフォロスは、最初は異教徒であったが、わが師と頼むものを求めて放浪の旅に出、王や悪魔に仕えたりしたが、最後にキリストに出会って、改心したということになっている。
この絵の中で、川をわたるクリストフォロスの顔は、いかにも苦しそうに見える。それは背負っている少年が余りにも重いからだ。というのも、少年に姿を変えたキリストは、世の中のすべての罪を自分で背負っているので、その重さは尋常なものではなかったのである。
それでもクリストフォロスが重さに堪えることができたのは、キリストへの信仰のためだったのだ。この絵を通じて、ボスはそう言いたかったのかもしれない。
(パネルに油彩、113×71.5cm、ロッテルダム、ボイヒマン美術館)
関連サイト:壺齋散人の美術批評
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