湯布院:九州の旅

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例のあひるの仲間たちと九州へ紅葉を見に行こうということになり、一時は五・六羽で宮崎・鹿児島の温泉巡りをしようというところまで煮詰まったのだったが、結局なんやらかんやらでおじゃんとなり、その代わりに都合のつく者同士でこじんまり行こうということになった。参加したのは筆者のほかに横・今の二子、行先は湯布院・黒川温泉プラス高千穂峡というコースだ。今子が幹事役になって設定してくれた。筆者はただ乗っかるだけである。

湯布院へは十数年前に、やはりあひるの連中と一緒にいったことがあった。あの時は十人以上が参加したから、大分空港で七人乗りのレンタカーを二台借り、国東半島の名所巡りをしながら、夕方湯布院に着いた。湯布院と言っても温泉街の中ではなく、高原に建った一軒家で、旅館と言うよりはリゾートマンションのようなものに宿泊した。そこは館内に温泉施設がなく、野原のなかに設けられた浴場まで歩いて湯浴みに行ったものだった。あの折はたったの一泊旅行で、翌日は竹田城の遺構や臼杵の石仏を見て、大分空港までトンボ帰りの忙しさだった。今回は、多少の余裕を儲けてあるという。

(2012年12月1日)午後一時半、羽田空子で横・今の二子と待ち合わせ、午後二時二〇分発大分空港行JAL一七八九便に乗り、午後四時過ぎ、大分空港に着陸した。

添乗員に案内され、早速迎えのバスに乗り込む。同乗者は三五人だ。湯布院へ向かう途中、バスガイドの説明を聞くに、いまや九州の温泉で一番の人気は湯布院と黒川温泉とのこと。かつては別府温泉が絶大な人気を誇ったものだが、今や昔日の面影なしという。たしかに別府温泉と言えば、新婚旅行のメッカとして知られ、地獄めぐりや高崎山のお猿が人気を博したものだ。大規模ホテルが多いのが特徴で、関東でいえば熱海温泉のような位置づけだったろう。そういう大規模集客型の温泉地は、バブル崩壊後は苦戦を強いられ、代って、こじんまりとして、個性豊かな温泉地が流行るようになったということだろう。

午後六時頃、湯布院に到着した。今回の投宿先も温泉街の中ではなく、ちょっと離れた高原の一角にあった。七色の風などと気取った名からして、そんなに古いホテルではないらしい。我々が着いた時には既に暗くなっていたが、湯布岳の麓にあって、眺めはなかなかいいそうだ。

浴衣に着替えるとすぐに大風呂に浸かった。結構大きな風呂で、浴場内は湯気が濛々と立ち込め、人の姿がよく弁別できないほどだ。隣接して露天風呂が設けてある。湯は無色透明で、匂いも味もしない。泉質は単純泉とのことだが、何故か女性には人気があるのだという。

夕食はまあまあだったが、これといって特色はなかった。ここらあたりは、豊後牛の産地で、牛肉が御馳走だそうだ。今晩は牛肉のステーキは出てこずに、地鶏の天ぷらが出てきた。

食後、部屋で焼酎を飲みつつ歓談した。歓談と言っても、年をとった男同士の話だから、そんなに色気のある話にはならない。どちらかと言えば、清談というに近い。清談をしつつ焼酎のお湯割りを飲む。そこに人生のひとつの形がある、というわけだ。


関連サイト:あひるの絵本 





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