送七兄赴揚州帥幕:陸游を読む

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初めての仕官を終えて郷里に戻った陸游は、紹興30年(1160)中央勤務に抜擢され、以後4年間、勅令所刪定官、大理司直、枢密院編修官などを歴任、同32年(1162)には、新たに皇位についた考宗に召見され、進子出身の資格をたまわる。同年には家族を臨安に呼び寄せてもいる。陸游の生涯でもっとも充実した時期だったといえる。

この頃、金との間で動きがあった。金主完顔亮が軍を率いて淮河を越え長江沿岸まで攻めてきたのである。宋にとって幸運なことに、金に内乱がおこって完顔亮が殺され、宋も反撃して両者は淮河を挿んで対峙した。

そんな折に、最前線ともいうべき揚州に、陸游の従兄が赴任することとなった。陸游はできたら自分が替っていきたいと思ったことだろう。ともあれ彼は一篇の詩を作って餞とした。


七兄が揚州の帥幕に赴くを送る(壺齋散人注)

  初報辺烽照石頭   初めて報ず 辺烽の石頭を照らすを
  旋聞胡馬集瓜州   旋(たちま)ち聞く 胡馬瓜州に集へりと
  諸公誰聴芻蕘策   諸公誰か聴かん 芻蕘(すうじょう)の策
  吾輩空懐畎畝憂   吾輩 空しく懐く畎畝(けんぽ)の憂
  急雪打窓心共砕   急雪 窓を打って心共に砕け
  危楼望遠涙倶流   危楼 遠きを望んで涙倶(とも)に流る
  豈知今日淮南路   豈に知らんや 今日 淮南の路
  乱絮飛花送客舟   乱絮 飛花 客舟を送らんとは

辺境ののろしが石頭山を照らしたときいたばかりなのに、もう金の軍馬が瓜州までやってきたということだ、お偉方は下々のいうことなど聞いてくれない、自分は田舎に埋もれたまま憂えるばかりだ(辺烽は辺境ののろし、石頭は南京きかくの山、瓜州は揚州の南にある要害地、芻蕘はまぐさと薪(身分の低い者)畎畝は溝と畝(在野))

烈しい雪が窓を撃つ部屋の中であなたとともに心をくだき、高楼に上から遠望して一緒に涙を流したものです、思いがけずあなたは淮南へと旅立たれる、乱絮、飛花の舞いとぶ中、わたしはこうしてあなたの船を見送るのです(淮南は淮河の南、揚州あたりを指す)


関連サイト:漢詩と中国文化 





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