保守本流とは何か:中村政則「戦後史」

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保守本流という言葉は、いまでは殆ど使われなくなったが、一時期は、戦後自民党政治の中核的概念を指す言葉としてよく使われたものだ。果してそれがどんな内包を持っていたのか、歴史学者の中村正則は、次のように概括している。

「一般的に保守本流とは、第二次大戦後の保守政治の路線を敷いた吉田茂の政治手法を継ぐ政治家や派閥を指すとみていい。ふつうは"吉田学校の優等生"といわれた池田勇人、佐藤栄作をさすが、福田、大平、鈴木もこれに属し、"戦後政治の継承"を説く宮澤喜一が、いわば最後の保守本流をさすということだろう」

これは人脈によって定義するやり方で、これによれば、吉田の衣鉢を継いだ池田、佐藤の流れが中心で、鳩山や岸の流れは傍流と言うことになるが、岸の流れでも福田だけは、保守本流に数えてもよい、といっているわけである。この場合、福田が保守本流に連なることができたのは、彼が保守本流と同じような政策を実施したからだ、という理解があるからにほかならない。そこで、保守本流の政策理念とは、いったいどんなものだったのかが問題になる。

氏は、政治評論家の石川真澄からの孫引きとして、元自民党幹事長保利茂の次のような言葉を引用している。「新憲法のあの精神で政治を運営していく。それにサンフランシスコ平和条約、日米安保条約、これが戦後の新しい日本の骨組み、骨格となった。これを維持発展させようとすることが、せんじつめれば本流意識ではないか」

つまり、現行憲法尊重の立場に立ち、サンフランシスコ平和条約と日米安保条約に象徴される対米従属の外交路線をとることが、保守本流の本質だというわけである。これは、政治的な面から保守本流をとらえているわけだが、経済政策でいえば、ケインズ的な有効需要政策を重視する立場だといってよいだろう。

こうしたとらえ方からすれば、戦後政治の総決算を呼号した中曽根康弘は、政治理念においても、経済政策においても、保守本流とはいえず、傍流というべきものであった、と氏はいう。というのも、中曽根は政治理念においては自主防衛と、それを実現するための憲法改正を唱え、経済政策においては、盟友のリーガン米大統領同様、新自由主義的政策を重視したからだ。そして中曽根以降は、この新自由主義的な流れが主流となる。その点で、中曽根の登場を以て、保守本流は消えたといってもよい、と氏は総括している。

何故、保守本流は消えたのか。この疑問に対しては、二度にわたるオイルショックを通じて、ケインズ的な有効需要重視の経済政策が後退し、市場原理主義的な経済理論が重視されるようになったが、そうした世界的な流れに、日本も例外なく巻き込まれたからだ、と氏は答えている。つまり経済政策をめぐる世界的な流れが、日本の保守本流意識を消滅させたと考えるわけである。

一方、政治理念についてはどうなのか、という疑問もあるだろう。上述したように、保守本流の政治理念は、現行憲法尊重と対米従属と言う点にあるが、今日保守を標榜する政治家で、憲法を擁護する者はほとんどいない。その点では、政治理念をめぐっても保守本流意識は消滅したといってよいだろう。

しかし、それにしては解せないこともある。例えば安倍首相は、憲法改正や軍隊の保有を声高く呼号しながら、一方では対米従属を是とするような言動を繰り返している。日本は、軍隊は持つが、自分の国を守るために軍隊を持つというよりは、その軍隊で、アメリカと一緒に戦争できるようにしたいといっているに過ぎない。日本の防衛はこれまでどおりアメリカさんにお願いしたい、というのだから、わけがわからない。

こうしてみれば、日本の保守派と呼ばれる人々は、かつての保守本流意識の内実をなしたものを放擲したあと、それにかわるキチンとした理念を持たないのではないか。そんな風に受け取れるのである。


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関連サイト:日本史覚書 





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