教授が特に注目しているのは、財政出動の規模の大きさだ。それらはすべて借金で賄われるが、借金のことはあまり気にする必要はない。とにかく借金してでも有効需要を拡大させ続け、経済が上向くのを期待すべきだ。この危急の事態を前にしては、財政規律などとのんきなことを言っていられる場合ではない、というのが教授の考え方だ。だから、財政出動の結果、多少でも経済が好転したところで、早々と積極財政をやめるというような中途半端なことをすべきではない。今までの日本では、積極財政と引き締めとを交互に行ってきた結果、経済はいつまでも抜本的な改善に至らず腰折れを繰り返してきた。今回はその愚を避けるべきだ、という。
アベノミクスについては、アメリカでも冷ややかな見方をするものが多い。そうした連中は、アベノミクスは別に新しい政策でもなんでもなく、自民党得意のばらまき政策を復活させたに過ぎない、ばらまきの結果は経済が回復するどころか、政府の債務を増やすだけで、中長期的に見れば少しもいいことはない、と主張する。それに安倍首相はもともと右寄的な政治の実現に闘志をもやしており、経済のことにはあまり興味がない。つまり、彼がどれだけ真剣に経済理論を勉強し、経済のことをわかったうえで政策運営をしているのか、あやしいものだ、ともいう。しかしそれでもいいではないか、結果オーライなら、別に経済学がわかってようが、わかってまいが、そんなことは関係ないのだ、といってクルーグマン教授はアベノミクスを擁護するのだ。
たしかに安倍さんは、経済学を十分わかっていないフシがある。その証拠に、自分のとりまきに集めた経済学者の顔ぶれを見てみればよくわかる。その中には、アベノミクスを積極的に進言していると思われるいわゆるリフレ派の学者のほかに、財政規律を重視する学者やら、竹中平蔵のような小泉政権時代に市場原理主義を推進した学者まで含まれている。要するに雑多な集団なのだ。この集団が互いに切磋琢磨して、良いところを伸ばし、悪いところを抑える効果をもたらすならいうことはないが、互いに足を引っ張り合って、船頭多くして船進まず、といった事態をもたらすようだと、日本は再び新たな失われた十年に陥りかねない。
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