さっさと死ねるように:麻生太郎副総理、社会保障改革に注文

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スタートした社会保障改革国民会議の席上、麻生太郎副総理が終末期医療について意見を述べた中で、「さっさと死ねるようにしてもらうとか、いろんなことを考えなければいけない」などと発言したそうだ。麻生さんはまた、終末期の患者を「チューブの人間」と表現し、「私は遺書を書いて、そういうことはしてもらう必要がない。さっさと死ぬから、と書いて渡してある・・・いい加減死にてえなあと思っても、とにかく生きられますから、なんて生かされたんじゃかなわない。しかも、その金が政府のお金でやってもらっているなんて思うと、ますます寝覚めが悪い」といったそうだ。

日頃率直な物言いが売り物の麻生さんにしても、これはちょっと言い過ぎたかもしれないと反省したのか、後でこの発言を撤回したそうだが、麻生さんの本音がこもった言葉だと、大方の人は受け取ったことだろう。

そもそもこの国民会議なるものは、税と社会保障の一体改革を進めるために、社会保障のあり方について論議する場として作られたものだ。消費税を上げる代わりに、国民の社会保障を充実するというのが歌い文句だったはずだ。ところが蓋を開けてみると、麻生さんのこんな言葉が大手を振ってまかり通る始末だ。社会保障についての、自民党の及び腰な姿勢が如実に表れている、筆者にはそんな風に映った。

最近の自民党は右傾化の傾向を強め、ナショナリズムを強調する一方、国民に対しては自助自立の精神を触れ回っている。麻生さんの発言には、国民の中に根強くある「お上の世話にはなりたくない」といった感情に訴えかけることで、自助自立の精神を鼓吹したいという思惑が含まれているのだろう。

自助自立の重視は、社会保障の受益者への厳しい視線となって現れる。たとえば生活保護だ。自民党政府は最近生活保護費の一割カットなどと言い出したが、それは、最低賃金が生活保護費の水準を下回る実態がある中で、働かずに最低賃金水準より高い水準の保護を受けているのはけしからんと言う、素朴な庶民感情を踏まえたものだ。

一方で生活保護を受けずに頑張っている者がいるのだから、生活保護を受けるのは当たり前などと思うべきではない。なるべく生活保護など受けないで、出来るだけ頑張る。こう言う姿勢が、国民として、また人間として当然の姿だ。生活保護制度を批判する人は、こんな風に言って、「行き過ぎた」保護にブレーキをかけようとする。

文部科学大臣の下村博文氏が、先日のテレビインタビューの中で、母子世帯だった自分の幼年時代に触れ、自分の母親はどんなに苦しい事情があっても決して生活保護には頼らなかったと発言していたが、これも自助自立を強調したいがための発言だろう。こういうことで、現に生活保護を受けている人たちに牽制をかけているつもりなのだろう。

もしかしたら麻生さんは、「自分の死にざまは自分で決めろ」と言いたかったのかもしれない。それはそれで一つの見識だ。もしそうなのだとしたら、麻生さんは発現する場を間違えたということなのだろう。(写真は共同通信から)


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