フィヒテはカントの直接の後継者と言われるように、カントの問題意識の延長上に自分の思想の体系を築き上げた。カントの問題意識の基本にあったのは、主観と客観とがどのように関わり合うかと言うことだったが、カントはこの両者をあえて融合させようとはせずに、別々の原理で説明していた。それに対してフィヒテは、この両者を同じ原理によって統一的に説明しようとしたのである。その結果、フィヒテの思想は極端な観念論に陥った、と批判されることになる。カントが目覚めた独断論のまどろみに、フィヒテは進んで陥ったというわけである。
カントの思想の最大の特徴は、理論理性と実践理性を峻別し、両者を異なった原理で説明しようとすることである。我々の客観的な認識は理論理性の領域の問題であり、そこでは神や魂の不死と言った理念は認識の対象とはならない。それに対して実践理性は、神や魂の不死と言った理念を、理性的な認識とは異なった原理に基づいて対象とする。簡単に言えば、我々の精神の活動は、感性に与えられた対象をめぐる知的な認識の領域と、道徳法則や神への信仰など叡智的な領域との二つの領域からなり、それらはそれぞれ異なった原理によって動いている、というものだった。
これに対してフィヒテは、理論理性と実践理性、感性的世界と叡智的世界とを、同一の原理によって統一的に説明しようとした。
その原理とは「自我」である。カントは自我を物自体としては認めなかった。自我は自分を意識することはあっても、それは現象として現れる限りにおいてである。つまり自我とは現象であって存在ではない。ところがフィヒテは、自我は現象にとどまるのではなく、存在でもあると考える。「自我が存在するのは、自我が自分を定立するからであり、自我が自分を定立するのは自我が存在するからである。したがって、自己定立の働きと存在とは一つのまさに同じものである」(座小田豊訳、以下同じ)
この部分は次のようにも言い換えられる。「自我のうちでのすべての定立の働きに先立って自我それ自身が定立されるということが、経験的意識のすべての事実の説明根拠である」
これは、デカルトの議論に近い。フィヒテは、カントが乗り越えたデカルトの議論に立ち戻ることで、カントの基本思想である「意識の超越論的ありかた」を放擲してしまうわけである。
意識である自我は、自分自身を定立するばかりではない。それは同時に非我をも定立する。なぜなら、私が私であるという意識は、私が私でないもの=非我とは異なっているという意識を同時にもたらすからだ。自我定立の働きは非我の反定立の働きを伴っているわけである。
こうして「自我も非我もともに自我の根源的な働きの所産である」という結論が導き出される。自我の働きによって、主観である自我と客観である非我=対象とが同時に産出される。私の存在をも含めて世界全体の存在は、自我によって生み出されるというわけである。これが極端な観念論であることはいうまでもない。
しかし、フィヒテの観念論がバークリーのそれと異なっている点は。自我を個人的なもののみとして考えないことだ。自我には二つのレベルがある。個人的な自我と、集合的な自我ともいうべきものである。フィヒテはその集合的な自我を絶対的自我とか、普遍的な自我、あるいは理性的存在者の理性などと呼んでいる。
フィヒテにとっては、絶対的自我のほうが本源的なものであり、個人的な自我は偶然的なものに過ぎない。絶対的自我が目的であり、個人的自我は手段である。
ではフィヒテがいう絶対的自我とは、どのような内実をもったものなのか。それはすべての理性的存在者に共通の普遍的な自我であるといわれる。そのような自我が措定されうるのは、「理性はすべての人に共通であって、すべての理性的存在者において完全に同じものである」からだ。
フィヒテのこの確信が、カントのアプリオリの概念に由来していることは、容易に見て取れる。カントはすべての理性には共通するアプリオリな能力が備わっていると考えた。フィヒテはその考えを引き継いで、すべての理性的存在者に共通するアプリオリな能力、それが絶対的自我だと考えたわけである。しかし、カントがこのアプリオリな能力を人間の認識行為の基礎に据えたのにとどまったに対して、フィヒテはそれに実在性をもたせ、あたかも個人を超えた普遍的な自我が存在するかのような議論を展開するのである。
フィヒテのこの絶対的自我の概念は、やがてヘーゲルによって換骨堕胎され、絶対精神として蘇ることになる。
関連サイト:知の快楽
コメントする