ロナルド・ドーア「日本の転機~米中の狭間でどう生き残るか」

| コメント(0)
知日派の社会学者として知られるロナルド・ドーアさんが、80歳を超える高齢で、「金融が乗っ取る世界経済」という本を著し、金融と云う虚業が実体経済の犠牲の上で繁栄している有様を分析してみせたが、今度は、「日本の転機」という本を書いて、日本の将来についてアドバイスしてくれた。

ドーアさんは、「この本は・・・米国の"悪識"を鵜呑みにしすぎて、世界をまっすぐ見ることが出来なくなった日本人をたしなめることを企図している」といって、日米同盟の見直しと、世界平和にとっての核兵器管理のあり方を主たるテーマにしている。

ドーアさんによれば、日米同盟を万能視して、中国と敵対的な関係を築きつつある日本の政治家は、世界の現状と方向性を読みちがえているという。日本の政治家は「中国の台頭と米国の衰退を読み違えている・・・厳しい現実をもう少し熟慮すれば、米国への従属的依存は、永遠に有利な選択肢ではありえないことが理解できるだろう」というのである。

米国は覇権の保持を追求して中国の台頭を許せず、それがもとで、米中冷戦の状況を醸し出している。いまのところ抑制が効いているのは中国の方だが、そのうちに中国の国力が米国のそれをしのぐようになれば、冷戦が熱戦に変らないとも限らない。それもそう遠くない将来にそうなるかもしれない。そういう見通しの中で、日本が対米従属のまま中国と敵対的な関係を続けるのは、どう考えても得策ではない。少なくとも、日本は対米従属から脱却して、自主独立外交を追求すべきだ、というのがドーアさんの最初のアドバイスである。

次のアドバイスは、核兵器の管理のあり方を巡ってである。現在の核兵器管理の枠組は「核兵器不拡散」体制と呼ばれるものである。これは核兵器の所有を国連安保理事会の五つの常任理事国に限り、それ以外の国には核の所有を禁止するというものである。何故なら、核の拡散は戦争の可能性を高めるから、というのがその理由だが、ドーアさんは、「核兵器不拡散」体制はすでにほころびており、現実には機能していないと批判する。

まず、インド、パキスタン、イスラエルが核兵器を所有し、北朝鮮とイランが所有に向けて最終段階に入っている。これらの国々が核兵器の所有にこだわるのは、外国による攻撃に対して抑止力を持ちたいからだ。

そこでドーアさんは考える。これらの国ががむしゃらに核兵器保有にこだわるのは、核兵器をめぐって力の非対称性があるからで、その非対称性がある限り、攻撃されることへの恐怖心は消えない。だが、核を持つことでその恐怖心は克服することが出来る。どんな国でも、相手の核兵器を一瞬にして全滅させる能力を持たない限り、自分も致命的な打撃を受けるということを知っているから、お互いの間に核の対称性がなりたてば、自分から核攻撃を仕掛けることは事実上不可能になる。その理屈は、1960年代に米ソ対立を通じて人類が学び取ったところだ。それ故、核兵器の拡散に歯止めをかけようとするより、思い切ってどんな国にも核兵器の所有を認めたうえで、その使用に歯止めをかけたほうが現実的だ。ドーアさんはそういって、核兵器の管理に関する国際的な枠組を提案するわけなのだが、その中で、日本の果たせる役割は沢山あるはずだ、というのがドーアさんの立場なのだ。

対米従属からの脱却といい、核兵器管理への積極的なかかわりといい、日本の今の政治家にとっては、あまりにも刺激的なアドバイスだろう。アメリカの核の傘に依存しつつ、一方ではアジアの国々とも仲良く共存して行く。それが日本の政治家の立場なのだが、それではあまりにも自主性に欠ける、とドーアさんはいうのだから。

その自主性のなさは、石原慎太郎のような右翼の政治家さえ呪縛している、とドーアさんはいう。尖閣を巡って石原が中国を挑発したのも、背後にアメリカという兄貴分がいて、なにかあったら助けてくれるだろうと安心してのことだ、それではまるで、腕っ節の強い兄貴を持つチンピラの弟がやる挑発だ、とドーアさんは言うのである。

石原に限らず、安倍首相も含めて日本の右翼には、どうもそんなところがある。十分に自立できていないくせに、相手がアジアの隣人だと、妙に威張りたがるのである。

ところで、ドーアさんのこの論文を巡っては、中央公論が面白い企画を催した。ジュリオ・プリエセという若い国際政治研究者とドーアさんとの間で、この論文を巡って論争のようなことをさせ、それを「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の著者エズラ・ヴォ―ゲルに採点させたのである。

プリエセは、たしかに日中関係が悪化するのは問題だが、米中間は冷戦といえるような悪い関係にあるとは考えられないし、今後いっそう協調的になっていく可能性もある。ドーアさんがいうように、台頭した中国がアメリカと敵対関係に入り、それに日本が巻き込まれると予想するのは、考え過ぎだという。それに中国が米国に追い付くには、ドーアさんが考えているよりはるかに長い時間がかかるだろう。日本にとっては、まだ十分に考える余裕はある。プリエセはそういってドーアさんの見方には批判的であった。

二人の論争に対するエズラ・ヴォ―ゲルの論評も、ドーアさんのほうに厳しかった。現行の核兵器管理体制に様々な問題があるのはドーアさんがいうとおりだが、だからといって、ドーアさんの主張は余りにも理想主義的で、ほかの治療法を考えた方がよいというのである。


関連サイト:日本の政治 





コメントする

アーカイブ