安倍首相の靖国認識

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中央公論最新号(2013年7月号)に、田原総一郎氏による安倍首相へのインタビュー記事が掲載されていて、その中で、靖国神社に対する安倍首相の認識が開陳されていたが、それを読んだ筆者はオヤッと思った。

首相はまず、先日訪米の折にアーリントン墓地にお参りしたことを引合いにだし、日本の首相が靖国にお参りするのは、アメリカの大統領がアーリントン墓地にお参りするのと基本的には異ならないといったうえで、その一つの論拠として、米ジョージタウン大学ケビン・トーク教授の説を引用する。それは、「アーリントン墓地には南北戦争の北軍の兵士も南軍の兵士も眠っている。大統領も一般の人たちも足を運んで祈りをささげる。ではそこに行く人々は、南軍が守ろうとした奴隷制度を肯定しているのか?そんな人間は一人もいない。そこに『論争』はなく、あるのは兵士の魂だけだ。靖国も同じである」というものだ。

ケビン・トーク教授は、小泉元首相による度重なる靖国参拝を擁護して、こういうことを言ったらしいのだが、彼は、靖国をアーリントン墓地と同じようなものと位置付けている点で、決定的な誤解をしている。靖国神社が宗教施設であるという点を棚上げしても、とても国民すべての英霊を平等に祀っているとは言えないからだ。

南北戦争はアメリカ史上最大の内乱だが、日本にもそれに相当するような大規模な内乱が起きた。戊辰戦争である。そもそも靖国神社というのは、この戊辰戦争で死んだ新政府側の戦死者を祀る目的で作られたもので、当然のことながら会津を始め反政府側の戦死者たちは排除されている。

また、戊辰戦争の政府側の指導者で明治維新の英雄とされた西郷隆盛は、西南戦争で政府側と戦ったことで逆賊扱いされ、やはり靖国神社には祀られていない。西郷と共に死んだ人々も同様である。

このことからも、靖国神社がアーリントン墓地と同様に言えないのは明らかだ。それは極めて政治的な背景を持った、片手落ちの施設だというほかはない。

次いで安倍首相は、「中国や韓国の方には、靖国が軍国主義を称揚する神社だと思い込んでいる人が少ないんですね。実際にそこに行ってみると、軍人が一人も立っていないのにびっくりする」といって、靖国が軍国主義を称揚するものではないかのような言い方をしている。まるで、軍人が境内に一人もいないことが、軍国主義を称揚していないことの証しであるかのようだ。

しかし、実際に靖国神社に行ってみれば、それがまぎれもなく、過去の日本の軍国主義を称揚している神社だということが、誰の目にもわかる。付属施設である遊就館は、日本が行なってきた過去の戦争に関する総合的な情報展示施設で、いわば戦争博物館ともいえるものだが、そこでは、日本の過去の戦争に対する反省が全くないばかりか、台湾や朝鮮半島の植民地化、大東亜戦争などについて、それらがあたかも正義に適ったことだといわんばかりの言説が溢れている。韓国人がこれを読めば、自分らが日本の植民地になったのは、自分たちにとって良いことだったのだと思わされ、中国人がこれを読めば、自分らが日本に侵略されたのは、歴史の必然だったのだと言いくるめられるような気がして、反発したくなるのは無理もない。

首相はじめ公人による靖国参拝が問題になるときには、つねにA級戦犯の合祀が論点になるが、それだけに議論を集中させるのでは、問題の本質が見えてこない。靖国神社というのは、国民に対しても不公平なところがあるし、(侵略された)外国に対しては全く無責任といってよい態度を取り続けてきたのである。

インタビュアーの田原氏は、安倍首相に言いたいことを言わせ、自分の意見は殆ど言っていないが、それは安倍首相に同感だからだろうか。氏は同じ雑誌の別の記事で、豊臣秀吉の朝鮮出兵について論じているが、その中で、秀吉には朝鮮を侵略する意図はなかったといっている。侵略の意図はなかったのだから、侵略ではなかったといいたげだ。それでは、あの橋下市長と五十歩百歩の理屈だ。


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