日本政治の対立軸

| コメント(0)
大嶽秀夫氏の著作「日本政治の対立軸」は、所謂55年体制の成立から、冷戦の終結を経て橋本政権あたりに至るまでの、日本政治を論じたものである。書名にもある政治の対立軸というのは、主要政党間の政策の違いを端的に表明したものであり、それを分析すれば、一国の政治がどのような価値観を巡って動いているか、一望できるような概念セットであるといえる。

この政治の対立軸というのは、先進主要国においては、おおおまかにいって右と左の対立という形をとる。ヨーロッパ諸国の多くにおいては、それは保守と社民の対立という形をとることが多く、アメリカにおいては保守とリベラルの対立という形をとる。どちらも、体制についての基本的なイメージとともに、経済政策を含んでいる。保守の側は、小さな政府と個人の経済活動の最大限の自由を標榜するのに対して、社民やアメリカのリベラルは大きな政府と個人間の経済的平等を思考する傾向が強い。

ところが日本では、この対立軸から、経済政策上の対立がずれ落ちていたと著者は言う。日本の場合、右と左の対立は、保守と革新の対立という形をとったが、どちらも政府の役割を強調し、国民の間の経済的平等を重視するという点では共通していた。日本では、保守政党であるはずの自民党も、経済政策の上では社民路線を追求した。これが日本における政治の対立軸の基本的特徴をなしていた。それでは、保守と革新との間ではどんな対立軸があったかといえば、それは、防衛政策と憲法の位置づけをめぐる考え方の違いであった。

日本では、保守政党である自民党は、再軍備と日米安保を重視し、そのために必要な憲法の改正を目指した。これに対して社会党を中心とする革新側は、平和と自主外交を標榜し、憲法改正を戦後民主主義の破壊につながるものだとして、護憲を強調した。つまり、非常にイデオロギー色の強い対立であったわけである。それが、戦後における東西冷戦を反映したものだったことはいうまでもない。だから、ソ連が崩壊し、東西の冷戦が終結すると、こうした対立軸が意味を持たないものになったわけである。

東西冷戦の終結は、ヨーロッパやアメリカの政治において右と左の対立軸の根本的な変化をもたらすことにはならなかった。相変わらず、大きな政府と小さな政府の対立といった形で、従来の対立軸が持ち越された。深刻な防衛問題がなくなったおかげで、経済政策上の対立軸のウェイトが相対的にも絶対的にも強まったわけである。

ところが日本においては、もともとそうした欧米型に特徴的な経済政策を巡る対立軸は存在せず、もっぱら防衛問題が対立軸を形成していたために、肝心の防衛問題を巡る対立軸が不明確になると、政治の対立軸そのものがあいまいになってしまった。その辺の事情を、著者は次のように言っている。

「政界再編の中で、戦後数十年にわたって続いてきた政策対立軸が消滅したにかかわらず、それに代わるべき対立軸が不在のままにとどまっていて、政党再編に理念を与えることができず、そのため"政党本位、政策本位"の政治を実現することが出来ないでいる」

つまり、東西冷戦終了後の日本の政治は、明確な政治の対立軸を失ってしまったために、政治の理念そのものが不明確になり、国民の政治への関心を著しく弱めているのだという現状認識があるわけである。

そこで著者は、日本の政治にも欧米並みの政策対立軸の形成が必要だと考えるのであるが、では、その対立軸とはいかなるものが望ましいのか。この疑問に対して著者は、新自由主義的な政策の導入が、世界の政治の趨勢からいっても望ましい、と考えているようだ。

ここで著者が考えている新自由主義とは、一言でいえば、小さな政府ということらしい。自民党は相変わらず大きな政府を大事にしているようなので、この小さな政府路線は、自民党との政策の相違を際立たせるには格好のものだ。ところで、欧米諸国においては、小さな政府路線は保守主義の標榜するところであり、社民やアメリカのリベラルは大きな政府を標榜する傾向が強かった。ところが日本では伝統的な保守政党が大きな政府を標榜する一方、それよりも左であることを自認する政党が小さな政府を目指すという奇妙な現象が生じることとなった。日本政治は分からないところが多いとよく言われるが、その分かりにくさの最大の理由は、右と左の対立軸が、日本と欧米とでは逆になっているということにある。

日本では、社会党が没落した後、有効な野党勢力がなかなか形成されなかった。この本がカバーしているのは、ほぼ橋本政権までのことであるから、20世紀に入ってからの民主党の動きには無論触れていない。しかし民主党が、次第に強力な野党になりつつあることの予感は盛られている。そしてその予感は、民主党がますます新自由主義の路線を突き進むことで、自民党との差異を際立たせ、経済政策を中心に据えた新たな政策対立軸を形成していくのではないかという期待と一体的になっているようだ。

この本の中でも、中曽根政権が新自由主義的路線を採用したことについては触れている。中曽根の新自由主義路線は、レーガノミックスとかサッチャリズムとかいわれた欧米の新自由主義の日本におけるエコーのような現象だったわけだが、それは時代の勢いに押された例外的な現象であって、自民党の主流はあくまでも大きな政府路線にあるという認識にたっているようだ。それ故今後も、大きな政府を目指す自民党に、小さな政府をめざす野党が挑戦するという特殊日本的な現象は続くだろうと判断しているわけであろう。

だだ、その後の日本の政治の流れは、著者の予想とは違った方向に進んできている。中曽根の後橋本政権の時代には、自民党の新自由主義的路線はやや後退したきらいがあったが、21世紀に入ると、小泉政権以降、自民党は新自由主義的路線を走るようになった。つまり、日本の伝統保守政党たる自民党もやっと、欧米の保守政党に近づいてきたわけである。

これまでの野党は、小さな政府を標榜することで、自民党に対しての自らのユニークさをアピールしてきたのに、その自民党までが新自由主義を標榜するのでは、いったい何を標榜すればよいのか。そんなジレンマに陥っているというのが、現在の政治の状況といえるかもしれない。

もっとも、安倍内閣に至って自民党は再び先祖返りし、大きな政府路線を突っ走るようにはなってきているが。


関連サイト:日本の政治





コメントする

アーカイブ