浪華悲歌:溝口健二の世界

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溝口健二が1936年に作った映画「浪華悲歌」は、溝口本人にとってのみならず、日本の映画にとって画期的な作品だという評価が高い。それまでの映画といえば、活動写真の言葉通りに、芸術性よりも数奇性がまさった単なる気晴らしにすぎなかったものが、この映画が現れて以降は、リアリズムを踏まえた芸術作品として発展するようになったのである。

溝口健二は(ここから先は映画評論家佐藤忠男の受け売りであるが)、日活の向島撮影所から映画人生をスタートした。この撮影所は、新派劇を映画に翻案したものばかり作っていたと言われるが、溝口もそれにならい、初期には新派風のメロドラマばかり作っていたらしい。新派劇というのは、力のない二枚目と若い女が恋に落ち、世間の荒波にもまれながら不幸な運命に翻弄されるという筋書きが多かったが、溝口もそれにならって、切ない男女の運命をほろ苦いタッチで描いていたという。ただ、他の映画監督と違うところは、女が二枚目の男ために苦労し、また悪い男たちによって食い物にされる、そんな不合理さを強調するところにあった。そこに、たんに気晴らしの芝居に留まらず、リアリズムの芽もあったといえるのだが、そのリアリズムがこの「浪華悲歌」で本格的に花開いた。この映画は日本に初めて現れた本格的なリアリズム映画だった、というわけなのである。

この映画は関西(大阪)を舞台にしている。溝口が最初に入った日活向島撮影所が関東大震災で被災して閉鎖されたあと、溝口は日活の京都撮影所に映り、以来関西を舞台に活動していた。この映画を作った時には、溝口の関西生活はすでに10年になっていたわけだが、そんなことからこの映画には関西的な雰囲気が横溢している。(関東人である筆者にはあまりよく伝わって来ぬが、それでも人物像にはそれらしきところを感じたりもする)

関西人は色々な点で関東人とは違った気性を持っていると言われるが、戦前にはその相違は今よりずっと大きかったようだ。女性についてもそうなのだろう。この映画のヒロインは、まだ10代の若い女性にかかわらず、世の中の荒波に敢然と立ち向かう逞しさを見せる。そんな女性は、東京ではほとんど見かけることがない。今でも見かけないのであるから、ましてや戦前の、封建的な残渣が沢山残っていた時代にはなおさらだったろう。

山田五十鈴演じる少女は、大阪の薬問屋に電話交換手として勤めている。その会社には彼女の好きな男も勤めている。社長は婿養子ということになっており、妻に頭が上がらない。事あるごとに養子の分際であることを思い知らされ、いまだに奉公人根性が治らないなどと、衆目の前で妻に罵られたりする。社長はそのうっぷん晴らしをするように、周囲のものに威張り散らす。典型的な俗物だ。この俗物が少女山田五十鈴に色目を使う。

少女の父親は会社の金を300円使い込んで訴えられそうになっている。それを見かねた少女は社長に金を出してもらい、そのかわりに囲い者になる。つまり父親の犠牲になるわけだ。しかしこの囲い者生活は長続きしない。社長の妻にばれてしまうからだ。

図らずも社長から解放された少女は、好きだった男と結婚したいと考えるようになる。ところが東京で大学生活をしていた兄が、金が無くて学費が払えず、このままでは就職にも差支えるといって、父親に金の無心をしてくる。父親には無論そんな金が用意できるはずもない。妹からそのありさまを聞かされた少女は、社長の知り合いだった株屋(新藤栄太郎)に色目を使い、株屋から金を巻き上げて父親に渡す。

少女は自分のアパートに恋人を呼んで、いままでのことを告白する。それを聞かされた恋人はびっくり仰天して言葉が出ない。そこへ株屋の新藤栄太郎がやってくる。少女は臆するどころか株屋を脅迫する。そして、付きまとうとそこにいる男に焼きを入れさせるぞといって、障子をあける。すると二枚目の恋人が背中を見せ座った姿で現れる。正面から見られれば腰抜けだと判ってしまうので、後ろ姿でごまかそうという魂胆だ。気の弱いらしい株屋は、覚えときいな、と捨て台詞を残して去っていく。少女はその背中に、かってにせいや、と追い言葉を投げつける。

その直後、少女は二枚目ともども警察にしょっ引かれる。株屋が告発したからだ。少女たちを尋問するのは志村喬扮する刑事だ。刑事は少女の罪を一方的に断罪する。おまえは、人を騙したんや、というわけである。騙したというのは、色を餌に金を貰っておきながら、相手の期待に応えなかったということだろう。ここでは売春の善悪如何は問題にならず、金を貰っておきながら商品である肉体を提供しなかったことが悪だという論理がまかり通っているわけである。

信じていた恋人の二枚目も自分を裏切る。自分もまたこの少女に騙されていたのだと、取り調べの中で言うのである。それを壁越しに聞いていた少女は絶望的な表情を見せる。(上の映像がその場面)

今回は初犯だというので少女は釈放される。引き取りに来た父親と共に家に戻ると、兄と妹から冷たい目でみられる。兄はこんな不良は家に入れるべきでないといい、妹は姉ちゃんのおかげで世間に顔向けできないという。それを聞かされた少女は、ヤケになって家を飛び出す。自分がこんな境遇にまで身を落したのは一体誰のためだ。それなのに、自分が助けてあげた肉親からこんなひどい仕打ちを受ける。なんという不合理さだ。と思うのは筆者ばかりで、少女はそんな風には思っていないのかもしれないが。

ラストシーンがいかにも印象的だ。少女が橋の欄干から川面を見つめていると、知り合いの医者が通りがかり、好色そうな目つきで声をかける。以下はその対話の場面である。

医者「何してんねん? こんなところで。」
少女「野良犬や。どないしたらええか、わからへんねん。」
医者「病気と違うか?」
少女「まあ、病気やわな。不良少女っちゅう、立派な病気やわ。なあ、お医者はん、こないになった女は、どないして治さはんねん?」
医者「さあ、そら、僕にもわからんわ。」

医者がそういって立ち去ると、少女は反対方向に向かって、決然とした足取りで歩いていく。その場面が何ともいえず秀逸だ。トレンチコートに身を包み、帽子を斜に被った山田五十鈴の姿は、あの第三の男に出てくるアリダ・ヴァリを思わせるが、この時の山田五十鈴も映画の主人公と同じく、十代の少女だったのである。

このラストシーンでは唯一のクローズ・アップが使われている。この映画で溝口は、クローズ・アップやフェイドアウト、モンタージュといった手法を使っていない。大部分がロング・ショットで、しかも距離をおいたカメラ回しだ。まるで舞台を画面に移したような溝口独特の静的な画面作りは、この映画でもはっきりと指摘できる。

この映画には、ところどころで興味深い場面がある。そのなかで筆者が一番興味を覚えたのは浄瑠璃を見物する場面だ。東京なら歌舞伎座が出てくるところが、関西では文楽座が出てくるのが面白い。劇場の中は二階桟敷になっていて結構広い。観衆はみな板の間の上に直に腰を下ろしている。

人形遣いは暗い空間の中で行われているようだ。いつか富岡多恵子が浄瑠璃について述べた文章を読んだとき、昔の人形浄瑠璃は暗闇の中から人形が浮き出るような具合に演出されていたという記述があったが、この映画の中の劇場も、劇場というより、映画館を思わせるような暗さを感じさせた。

上演されていたのは「野崎村」。義太夫をうなっていたのが誰か、わからなかったが、かなり早口で、声の調子も変化に富んでいる印象を受けた。







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