イギリス議会がシリア介入を拒否した意義

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イギリス下院がキャメロン首相の提出したシリア介入案を否決したという報道を聞いて、聊か考えさせられた。首相の提案が否決されたということは、与党側のかなりな数の議員が反対票を投じたということだ。日頃からイギリスの政党は党議拘束が厳しいのだろうと勝手に思っていた筆者などは、イギリスの政党が意外と議員の自主性を重んじていることに感心させられたのだった。

イギリスは小選挙区制の元祖の国だ。小選挙区制というのは、党員に対する党首の影響力を高め、したがって党議拘束も強いのだろうという印象を与える。実際、イギリスに倣って小選挙区制を導入した日本においては、個々の議員に対する党首の影響力は強くなってきており、個々の議員が党首の意向と正反対の投票行動をするようなことは、余程のことがなければ、無くなりつつある。

ところが、小選挙区制と二大政党制の大先輩たるイギリスにおいては、個々の議員が党首の意向と正反対の投票行動をしているわけだ。それは、イギリスの議会政治において、個々の議員の自主性が尊重されているということを物語っているのだろう。

同じく小選挙区二大政党制のアメリカにおいても、政党所属の個々の議員は、非常に自主性の高い行動をしている。これは、大統領と議会とがチェック&バランスの関係にあり、法律は議員だけが提案できるという制度にも起因している現象だが、いずれにしても、アメリカの政党における個々の議員の自主性はイギリスよりも高い。

翻って日本の政党をみると、個々の議員の自主性は非常に低く、議員は党議に拘束される立場にある。中選挙区制の時代には、自民党内には複数の派閥が併存し、派閥均衡のうえに成り立っていた党首の影響力は限定的なものだったが、それでも個々の議員が党議と正反対の投票行動をすることはなかった。派閥間の取引によって、一応党の意思というものが決定されたからには、それに従うという慣習が成立していたためだろう。

中選挙区制から小選挙区制になると、派閥の力は弱まり、個々の議員は、ストレートに党首に結び付くケースが増えた。そういうケースでは、個々の議員の自主性は、一層限定的なものになる傾向を強めている。ということは、日本の国会議員たちはますます、自主性を失い、たんなる投票マシンとなりつつあるわけだ。

それが近代政党のあり方なのだ、と力説する学者もあるが、少なくともアメリカの議員は日本の議員よりもはるかに自主性が高く、イギリスの議員もまた、党首の意向に反してまでも、自らの信念にしたがった投票行動をするわけだ。そんな光景を見せつけられると、どうも日本の政党政治というものの特異性を感じさせられずにはおれない。自分の頭で自主的に考えることのできない議員が国の方向を左右しているという不幸な特異性だ。(写真は英下院の投票:APから)







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