ドイツと日本~二つの戦後:駐日ドイツ大使フォルカー・シュタンツェル氏の話

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駐日ドイツ大使フォルカー・シュタンツェル氏が朝日新聞とのインタビューの中で、同じく第二次世界大戦の敗戦国であるドイツと日本が、戦後にたどってきた道を比較して、興味深いことを言っている。日本もドイツも、あの戦争では侵略者であったことを踏まえて、戦後は自制の姿勢を取ってきたが、それは大きい目で見てよかった。だが両国の間では、国際環境に大きな違いがあり、そのことで微妙な相違も生まれたというような趣旨である。

自制とは、自分が過去に侵略者であったという自覚に立って、他国に対して自分の意見を押し付けないということのようだ。ドイツがもう、ドイツのことを恐れないで欲しい、協力して欲しいと思うなら、自分の考えを他国に押し付けるようなやり方はよくない。もし他国に対して云いたいことがあっても、ストレートにはいわない、なるべく国際的な枠組みの中で発言する。そうすることで、他国から信頼され、協力していける基盤が作られる。その結果、ドイツは経済的には大国だが、政治的には小国と呼ばれてきたが、それでよいのではないか、なにも改める必要はない。こんな趣旨のことをいっていたようだ。

こうした姿勢は、日本も基本的には同じだったのではないか、と氏はいう。日本もドイツと同じように、経済発展に専念し、国家を再建したけれども、決して自分の意思を他国に押し付けることはなかった。それは賢い生き方であった、と氏は日本の戦後について高く評価している。

だが、ドイツがEUの有力なメンバーとして国際社会にゆるぎない地位を築いているのに対して、日本の場合にはいまだに周辺諸国とごたごたが絶えない。また、戦争責任についても、ドイツのように徹底した謝罪をしているとは言えない。それについて氏はどう考えるか、とインタビュアーが水を向けたところ、次のように答えた。

まず国際環境が違っていた。ドイツの場合には、フランスなどドイツの犠牲者であった国々も積極的に和解しようとしてくれた。そういう中でドイツは戦争責任について繰り返し謝罪することで周辺諸国の信頼を高め、欧州統合へと進んでいくことが出来た。ところが日本の場合には、そういう環境が無かった。中国は共産主義の国家であったし、韓国は軍事独裁国家だった。こういう状況では、同じ(民主主義の)立場に立って、協力して国際関係を築き上げようとする努力は困難だった。それ故周辺諸国に対する日本の謝罪も中途半端なものにとどまった。また、日本は広島・長崎に原爆を落されたこともあり、ドイツのように一方的な加害者であるというよりは、自分たちも戦争の被害者なのだという感情も持った。そんなところから、日本人が戦争責任を受け入れることは、ドイツ人よりも難しかった。

この辺は、筆者も日頃から思っていたことだ。日本はいままで、戦争責任について曖昧なまま進んできてしまった、という事実があるといえる。それ故、きちんと過去が清算できない。過去がきちんと清算できないから、未来に向かって確固たる足場が築けない。そんなところなのだろうが、それは別に日本だけの責任ではなく、国際関係にもさまざまな問題があった結果なのだ、と氏は日本に対して好意的な解釈をしてくれている。







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