中国人の宗教心

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中国では共産党政権のもとで長い間宗教が抑圧されてきたが、改革開放路線が本格化した1980年代以降、宗教に対して寛容な政策がとられるようになった結果、宗教に帰依する人々の数が劇的に増えてきた。キリスト教に関してだけも、改革開放以前には600万人だった信者が、現在では1億人になった。儒教の勃興も甚だしい。こうした事態の背景には一体どんな事情があったのか。NHKの特別番組「NHKスペシャル~中国激動:"さまよえる"人民の心」が、その一端に迫っていた。

改革開放で中国は豊かになったが、その豊かさは国民一人一人に広く行き渡らないで、とてつもない金持ちが多数生まれる一方、日々の生活に追われる膨大な数の人々が貧しいままに取り残された。こうした社会の矛盾が、人々を宗教に向かわせたのではないか、番組はそう推理する。確かに豊かな人は豊かになれた一方で、心の中が何か満たされないばかりか、拝金主義が横行する中で、人間的な感情を忘れる者も出て来た。貧しい人は貧しい人なりに、格差社会の中で人間としての尊厳を踏みにじられることが多く、日々絶望しながら生きている。そうした人々の間で、心の拠り所として宗教に向かう動きが加速されてきたと見るわけだ。

数年前広州郊外で起きた女児轢き逃げ事件は、多くの中国人を叩きのめした。自動車に轢き逃げされて苦しんでいる女児に、誰も手を貸さずに見て見ぬふりをしていた。中国には伝統的に惻隠の情と言うものがあって、人が溺れかかっているのを見たら助けの手を伸べるのが当然とされてきた。ところが、困っているどころか死にかかっている小さな子供に対してさえ、手を差し出さぬばかりか、見て見ぬふりをする。これは、中国人の心の中から、人間的な感情が失われてしまった証拠ではないのか。そう感じた人々が、もう一度人間的な感情を取り戻すための拠り所として、宗教を求めるようになった、ということはいえそうである。

最近は共産党政権も宗教を積極的に利用しようという姿勢に転じてきたと番組は紹介する。さすがにキリスト教については、せいぜい黙認する程度だが、儒教については、これを積極的に普及しようとして、様々な取り組みをするようになった。かつては、封建道徳の温床として厳しく批判された儒教だが、いまでは国民に道徳心を養わせる貴重な資源として注目されているわけである。

二・三年ほど前に中国政府は「孔子平和賞」というものを設けたが、それは中国政府が敵視する人物にノーベル賞が付与されたことに対する腹いせではないか、との憶測を呼んだものだが、案外中国政府は本気でこの賞を創設したのかもしれない。つまり中国人の道徳教育の上でもつ儒教の意義を、孔子を称えることで強く示そうとした、といえないこともない。

共産党政権は、人民に儒教を奨励するだけではなく、党幹部に対しても儒教の教えを学ぶように求めている。そうすることで、腐敗した人間に道徳心を植え付け、共産党が人民から遊離することが無いようにしようとの計らいなのだろう。

このように宗教が盛んになると、宗教をビジネスの種にしようとする人間も出てくる。人々の宗教心に漬け込んで、一儲けしようという輩の登場だ。そういう言う輩なら日本にもいる。


関連サイト:中国を語る 






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