強制わいせつ事件で起訴取り消し:被害者が報復を恐れて

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強制わいせつ事件をめぐって、犯罪の被害者が、裁判で被告に自分の情報が洩れ、それがもとで報復されることを恐れたため、東京地検が起訴を取り下げたということだ。強制わいせつ事件は、「親告罪」事件なので、被害者が親告を取り下げれば事件にはならないが、それは形式手続き上のことで、日本の司法をめぐる実質的な議論にとっては、このケースは深刻な問題を孕んでいる。

被害者が、報復を恐れて親告を取り下げたということは、被害者が日本の司法や警察を全く信頼していないことのあらわれだろう。先日も、警察に相談していたにもかかわらず、ストーカーによって殺害された女性の話が話題になったし、それ以前には、警察の不手際によって加害者に自分の情報を知られ、それがもとで殺された人のケースもあった。こういうことが重なるから、日本の警察や司法当局は、凶悪な犯罪者あるいはその予備軍から、市民の安全を守ることが出来ない、というふうに受け取られるのは、ある意味当然の事態だ。

しかし、こんなことが当然だとしてまかり通るとしたら、そんな国家は近代国家とは言えない。国民一人一人の生命と安全を守るのは、近代国家としての最低条件だ。それが守れないと国民から受け取られるとしたら、それはもう国家などというものでなかろう。

どうしてこうなってしまうのか。色々な事情があるのだろうが、要は日本の警察・司法制度が十分に近代化されていないということなのではないか。近代的な警察・司法制度とは、国民の目線に立って運営される制度のことを言う。警察や司法の都合を優先するような制度は前近代的な制度と言わねばならない。警察が容疑者に逮捕状を示す時に、不用意に被害者の情報をもらすなどは、日本の刑事手続きが、国民の保護よりも自分たちの論理を優先させていることの象徴的な事例だ。

こんなわけだから、外国からしばしば刑事・司法手続きの前近代性を指摘されるわけである。先日は人権に関する国際会議で、アフリカの委員から日本の刑事手続きが前近代的だと指摘されて逆切れした日本の外交官がいたが、一国を代表して大使を務める人間にしてそんなわけだから、他は推して知るべしだろう。刑事・司法に携わる人たちには、犯罪被害者の安全と言うことに、もっとまじめに取り組んでもらいたいものだ。







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