安倍政権が目指していたいわゆる「解雇特区」構想がつぶれた。最大の理由は労働行政を預かる厚生労働省の反対が強かったことだと聞こえてくる。国内に特区なるものを設けて、その内部で労働者の労働基本権を制約するのは、法の前の平等を定めた憲法の規定に違反するという理屈について、さしもの安倍政権とその取り巻きたちも突破できなかったということのようだ。しかし、完全にあきらめたわけでもないらしく、次は厚生労働省を落すことがターゲットになりそうだ。厚生労働省が反対しなくなれば、誰も「解雇特区」構想を遮る者はいなくなるだろうから。
この特区構想のことを聞いて筆者が思い出したのは、溝口健二の映画「山椒大夫」だった。この映画の中で山椒大夫は貴族の荘園の経営を任されているのだが、その荘園は治外法権的な扱いを享受していて、中央政府といえども介入ができない。したがって、荘園の経営者たる山椒大夫は、好き勝手なことが出来る。彼こそが法なのである。人々を奴隷的境遇に封じこめて彼らをとことん搾取するのである。
その山椒大夫に、出世した厨子王が復讐しようとしたら、荘園は中央政府から独立した別世界だから、手出しすることは許されない、と上司から厳しく言われる。それでも映画の中の厨子王は、山椒大夫に復讐し、奴隷的境遇の人々を開放してやったりするのであるが、それは違法な行為なのである。こんなシーンは原作の説経節にも、鴎外の小説にもなく、溝口監督が独自に思いついたアイデアなのだが、彼がそんなことを思い付いたのは、人間が人間を搾取するという不合理なことを許せなかったからだろう。(溝口監督は比類のないヒューマニストだったから)
安倍政権のめざした「解雇特区」が、この映画の中の荘園を思い出させたのは、両者に似たところがあるからだ。どちらも、貪欲な経営者に全権を与え、弱い人間から膏血をしぼりとるように搾取することを認めている。それは合法的なことなのだ。しかしそんな制度が合法的なものとしてまかり通るようになっては、どんな事態が訪れるか、それを推測するのに大した想像力はいるまい。
日本の一部の経営者(いわゆるブラック企業の経営者など)の貪欲さを考えたら、彼らがこれであっさり引き下がるとは考えにくい。またぞろあれこれと理屈をこねながら厚生労働省に言うことを聞かせ、いずれは現代版の荘園たる「特区」を実現させるべく、まい進するだろうと思われるのである。
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