先稿「愛する」の中で筆者は、現代日本人が愛情を表現する言葉として使っている「愛する」とか「愛」とかいう言葉が、明治以降に、西洋文学の翻訳を契機に広まった言葉であり、江戸時代以前には使われていなかったということを指摘した。その上で、徳川時代以前の日本人は、男女の性愛を表現する言葉として、恋ふ、慕ふ、思ふ、焦がる、惚れる、などを使っていたと指摘した。
そこで、愛情表現の言葉が具体的にどのように使われていたかを、文学作品の上で検証してみようと思い、伊勢物語に当たって見た。伊勢物語はいうまでもなく、男女の恋愛をテーマにした、日本文学史上代表的な恋物語だからである。
検証の材料には、物語中に散りばめられている歌を取り上げた。伊勢物語の場合には、歌と本文とはほぼ一体の関係にあり、歌を分析すれば、その歌が含まれているコンテクストをほぼ了解したことにもなろうと考えたわけである。
まず、男から女に向けて発せられた愛情表現の言葉として、有名な都落ちの歌がある。業平が、隅田川で都鳥を見て、都に残してきた愛人を思い忍ぶというものだ。
名にし負はゞいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと(9)
ここでは、「愛する」という感情を、「思ふ」という言葉で表している。「現代語の「思う」には、ほとんど愛情表現のニュアンスは無くなってしまったが、業平の時代には、愛情表現の言葉として、もっとも一般的なものだったことが、伊勢物語を通じて、確認することが出来る。というのも、この「思ふ」という言葉は、これ以後も愛情表現の言葉として頻出するからだ。以下、その例をあげると、
思ふかひなき世なりけり年月をあだに契りてわれや住まひし(21)
あひ思はで離れぬる人をとゞめかねわが身は今ぞ消え果てぬめる(24)
蘆辺より満ち来る潮のいやましに君に心を思ひますかな(33)
こもり江に思ふ心をいかでかは舟さす棹のさして知るべき(33)
鳥の子を十づゝ十は重ぬとも思はぬ人を思ふものかは(50)
思ふには忍ぶることぞ負けにけるあふにしかへばさもあらばあれ(65)
あふなあふな思ひはすべしなぞへなく高きいやしき苦しかりけり(93)
これらのうち、24段は、「愛し合う」ことを「あひ思ふ」といっている。
次に、「恋ふ」という言葉がある。動詞形としての「恋ふ」を使った事例をあげると
君来むといひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬものゝ恋ひつゝぞ経る(23)
百年に一年たらぬつくも髪われを恋ふらしおもかげに見ゆ(63)
恋せじと御手洗河にせしみそぎ神はうけずもなりにけるかな(65)
岩根ふみ重なる山はへだてねどあはぬ日多く恋ひわたるかな(74)
人知れずわれ恋ひ死なばあぢきなくいづれの神になき名負ほせむ(89)
花よりも人こそあだになりにけれいづれを先に恋ひむとか見し(109)
いにしへや有もやしけむ今ぞ知るまだ見ぬ人を恋ふるものとは(111)
下紐のしるしとするも解けなくに語るがごとは恋ひずぞあるべき(111)
「恋ふ」が形容詞形になると「恋ひし」となる。以下はその事例である。
憂きながら人をばえしも忘れねばかつ恨みつゝ猶ぞ恋しき(22)
狭席に衣片敷今夜もや恋しき人にあはでのみ寝む(63)
恋ひしくは来ても見よかしちはやぶる神のいさむる道ならなくに(71)
見ずもあらず見もせぬ人の恋ひしくはあやなく今日やながめ暮らさむ(99)
恋ひしとはさらにも言はじ下紐解けむを人はそれと知らなむ(111)
日本語のユニークな点のひとつに、感情表現を形容詞で表すということがあるが、恋愛感情にも「恋しい」という言葉がふんだんに使われているわけである。
「愛する」の名詞形は「愛」であるが、「恋す」に対応した名詞形は「恋」である。
なかなかに恋に死なずは桑子にぞなるべかりける玉の緒ばかり(14)
君により思ひならひぬ世中の人はこれをや恋といふらむ(38)
ならはねば世の人ごとになにをかも恋とはいふと問ひしわれしも(38)
彦星に恋はまさりぬ天の河へだつる関を今はやめてよ(95)
以上、伊勢物語において、恋愛感情を表現した言葉を取り上げた。読者の中には、チョッと意外に思われた人がいるかもしれない。というのも、「思ふ」と「恋ふ・恋」以外に、恋愛感情を表現する言葉が、出てこないからだ。「慕ふ」とか「焦がる」とかいった言葉があってもよさそうだが、出てこない。出てくるのは、以上の二系列の言葉だけなのである。
この二系列以外で、愛情表現を現す言葉については、他日、他の文学作品に当たってみたいと思う。
関連サイト:日本語を語る:歴史編
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