縄文土器2:縄文中期

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(加曾利式E型土器:関東地方、縄文中期)

縄文時代中期の土器になると、造形的な意思が強く働くようになる。それはひとつには腹面の模様の多様化につながり、もう一つには広口部分の装飾性の強化に向かった。この時期以降になると、意匠は単純化する方向に向かうので、縄文中期が造形的にもっとも華やかな時期だったということができる。

縄文のシンボルともいえる縄目模様は、編んだ縄を直接にか、あるいは縄を棒に巻きつけて絡条体を作り、それらを土器の表面に、回転させながら模様をつけていくという方法をとる。回転の方向は横の場合が多い。細い繊維を用いて縄よりも細く作ったものは撚糸といい。それで作った模様を撚糸文という。

縄文のほかに、渦文とよばれる渦状の模様も、縄文時代を通じて好んで使われた。模様のつけ方は、粘土に刻みを入れたり、あるいは細長い粘土を張りつけて隆起させたりするなどの方法がとられた。

この渦文が何を意味するかについては定説がない。巻貝の螺旋形ではないかとする説、ヘビがとぐろを巻いている姿だとする説、あるいは海流の渦を現すとする説など、さまざまである。いずれの説も、縄文人の生活と関連付けて説明している。巻貝は縄文人の食生活と深く結びつき、ヘビは縄文人の信仰と結びつき、渦巻は縄文人が海を生活の場にしていたことと結びつく、といった具合である。

広口に装飾を施すことは、中期以前にもなされていたが、本格化するのは中期になってからである。関東、甲信越地方がその中心地となった。

上の図は、加曾利式E型土器と呼ばれるもの。口縁部に並行する二本の帯模様(隆帯)があって、その間に渦状の模様が浮かび上がっている。土器全体についている筋状の模様は撚糸文である。この土器の形は製図用具のキャリパーに似ていることから、キャリパー式土器というニックネームもある。

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(馬高式土器:甲信越、縄文中期)

これは馬高式土器。口縁部の模様が壮大で燃え上がった火を思わせることから火焔土器ともよばれている。あくまでも現代人が想像したうえでの命名であり、これを作った縄文人の意識に火焔のイメージがあったという保証はない。

口縁部の模様に神経が集中していて、下部の文様はごくあっさりと処理されている。縄文人なりのバランス感覚のあらわれだろう。

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(曽利式土器、甲信越、縄文中期)

これは曽利式土器。口縁部の装飾が下部まではみ出しており、最下部には模様らしきものは省かれている。装飾の形は水煙を連想させるので、俗に水煙式と呼ばれることがある。実際に何をイメージした装飾なのかは、無論わからない。

以上はいずれも東日本の土器だ。これに比べると同時期の西日本の土器は、口縁部への過剰な装飾性に欠ける。それらは、口縁部におけるシンプルな装飾と、腹部の洗練された文様が特徴である。





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