「そやさかい」といえば、「そうですから」という意味の関西言葉だ。この中に含まれる「さかい」について、筆者は、古語の「かれ」から発展してきたもので、関東言葉の「から」が「かれ」からの発展であることとパラレルなものだ、という趣旨のことをいったことがある。ところが、この「さかい」の起源を別の所に求める意見があった。大野晋の説である。
大野によれば、「さかい」は「あひだ」の代替形なのだそうだ(日本語の水脈)。「あひだ」とは、たとえば
雨降り申し候間(あひだ)、会は中止と相成り候
{雨が降りましたので、会は中止になりました}
のように用いられ、原因や理由を現す言葉であった。
「間(あひだ)」が何故、原因や理由を現す言葉になったのか。「あひだ」とはAとBに挟まれながら、AでもBでもない部分をさす言葉である。AでもなければBでもないが、AにもBにも関係がある。その関係性をあらわすところから、関係としての原因や理由をあらわすようにもなった、と大野はとりあえず抑えるわけなのだ。
「さかい」はもともと「さかひ」と書いて、坂と坂の接するところ、つまり境界を意味していた。これもやはり、二つの間にあって、その二つを結びつけるところから、「あひだ」とよく似ている表現である。そんなところから、「さかい」が「あひだ」を代替するようになり、今日の関西言葉で、理由や原因を現す言葉になった。それに対して関東言葉の方は、もっぱら「から」を用いるようになった。というのが、大野節の概要である。
これに対して筆者は、「さかい」は古語「かれ」から発展したものだと考えてきた。「かれ」が「け」や「かい」に変化し、それに接頭語の「さ」が結びついて、「さけー」や「さかい」になったのではないかと考えたわけである。それに対して関東では、「かれ」からストレートに「から」になった。こう考えた方が、日本語の歴史的な変遷という意味でも自然ではないか、と思ったわけである。
大野説と筆者の考えと、どちらがもっともらしいか。それは今後の実証的な研究に残された課題だろう。
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