民衆の痴愚蒙昧を描く:魯迅「明日」

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魯迅は短編小説「薬」の中で、人肉で作った饅頭を食えば、どんな病気も忽ちに治るという迷信の犠牲となって、むざむざ息子を死なしてしまう親たちの蒙昧ぶりを描いていたのだが、続いて「明日」という短編小説の中でも、同じようなテーマ、つまり民衆の痴愚蒙昧というテーマを取り上げた。

この小説でも、病気の子どもとその母親が出てくる。母親は、子どもが熱を出しているので、いずれは医者に見せなければならぬとは思うのだが、病気なのはいまのうちだけで、明日になったら、もしかして治るかもしれないと考え直し、医者に連れて行くのを先延ばしにする。医者に診てもらうには多額の金がかかるためだ。でも、早く医者に診てもらえれば助かるかも知れない。それはそれで一つの可能性だ。しかし可能性のために多額の金を使うわけにはいかない。それは、わかっている、わかっているけれども、わりきれない部分があるのも、致し方がない。そのあたりのところを、この小説の哀れな登場人物は次のようにいって、合理化するのだ。

「宝児は夜になると悪くなるだけなのかもしれない。明日になって、日が昇れば、熱も引き、喘ぎも鎮まるかもしれない。実際それは、病人にはありがちなことだ」

これは死ぬつつある子供を前にして、自分に言い聞かせる母親の言葉である。母親は母親で、母親らしい気持ちを、この言葉によって表現しているのだろう。だがそれは、客観的な視点から見れば痴愚蒙昧以外のなにものでもない。その辺のところを、それを作者は次のように言う。「単四嫂子は無知な女だから、この『だが』という言葉の恐ろしさを知らない。多くの悪いことが、この言葉のおかげでよくなることも無論あるが、多くの良いことが、この言葉のおかげで悪くなるということを知らない」(竹内好訳)

結局子どもは手遅れが原因で死んでしまうのだが、子どもを見てもらいに行った医者も無責任そのもののように描かれている。その医者は、わけのわからぬ薬を処方するのみで、まともな治療を何一つしないのだ。だが、その母親にはどうして人様を恨むことが出来よう。彼女はただただわが身の不運を嘆くのみなのだ。彼女にできることといえば、子どもが夢の中で会いに来てくれることを願うだけなのだ。

患者を食い物にして儲けることしか考えない医者は、魯迅の周りには沢山いたようだ。魯迅自身もそうした医者の餌食になったという被害感情を持っていた。魯迅の父親は37歳の若さで死んだのだったが、その父親の晩年、何とか父親の命を助けたいと思った魯迅は、高い金を出して医者から貰ったいい加減な処方箋で、治りもしない薬を買わされたのであるが、無論そんな薬で父親の命が助かるわけはなかった。魯迅が中国の伝統医療に不信の念を抱き、自分自身は西洋流の近代医学を学ぼうと決心したのも、こうした体験に根差していたわけである。

この小説には、単四嫂子という名前の女が出てくるが、数字を名前にした人たちは、「風波」の中でも沢山出てくる。九斤婆さん、七金嫂、六斤といった人々だ。行間から、それらの名前が生まれた時の体重に基づいているということは伝わってくるが、何故体重を名前にしたのか、という理由はわからない。これも民衆の無知蒙昧に根差した迷信に根拠があるのかもしれない。

そこで、これは魯迅の小説から離れるが、子どもの名前に「狗剰児」などとつける例が清代末期までの中国にあったと、指摘した人がいた。中国史家の村田雄二郎氏である。(「犬も食わない名前」図書2013年、6月号)

「狗剰児」とは犬も食わない子どもという意味である。清代の中国では幼くして死んだ子どもの死骸は一族の墓に埋めることが許されないので、郊外に野ざらしで棄てられた。そこへ野良犬たちがやってきて、子どもらの死骸を食ってしまう。子どもが早死にして犬に食われるのを望む親は無論いない。そこで、犬も食わないという名前を与えることで、早死にしないようにとの願いを込めた、というわけらしい。


関連サイト:漢詩と中国文化 






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