市民のデモをテロと同一視:自民党幹事長の強権体質

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自民党の石破幹事長が自身のブログの中で、特定秘密法案に反対する市民のデモについて、「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質において変わらないように思われます」といって、市民の反政府デモをテロと同一視したそうだ。一政党の幹事長にも政治的な意見をいう権利はあり、そういう人間が反政府デモを批判するのも勝手なように思われるが、ことは権力政党たる自民党の幹事長の言ったことであり、しかも参議院では、特定秘密法案の審議をめぐって、テロの定義について論戦がなされている最中だ。そんなタイミングで自民党の幹事長が、こういうメッセージを発信するというのは、ちょっと尋常ではない。

権力が反政府デモを嫌悪するのはよくわかるところだ。そんなデモを弾圧するもっとも都合のよい言い訳は、その連中をテロリスト呼ばわりすることだ。実際エジプトのクーデター勢力やシリアのアサド勢力は、反対派をテロリスト呼ばわりすることで、血の弾圧を正当化している。ロシアのプーチン政権も、アサドはテロリストと戦っているという理屈で、アサド政権への援助を合理化している。

しかし、いかに反政府デモが憎いからといって、どうしてそれをテロと同一視できるのか。テロというのは、敵対する勢力や人間に対してなされる殺害や傷害と言った実力行為のことだとするのが世界の常識だろう。それを、少しくらい声が大きいからと言って、テロ呼ばわりするのは常識をはるかに超えている。こんな言い分が通るのなら、原発デモがうるさいといって批判を浴びた野田前首相も正当だったということになる。彼らはテロリストなのだから、容赦なく鎮圧されるべきだ、と胸を張って言えたわけだ。

反政府デモというのは、表現の自由の象徴のようなもので、およそ民主主義を標榜する国家においては、基本的人権のひとつとして尊重されている。それを、うるさいということを理由にしてテロ呼ばわりするのは、民主主義の精神に反するばかりか、強権政治の横行に道を開く行為だ。

どうも最近の自民党は、右を向いても左を向いても、この手の強権的人間ばかり目立つようになってしまった。こんな人間ばかりがのさばるようでは、日本の未来は非常に暗いと言わねばならない。


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