法隆寺五重塔の塑像

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(法隆寺五重塔の塑像群:釈迦涅槃)

法隆寺五重塔下層の中心部に、一群の塑像が置かれている。これは四天柱を取り囲んで壁を作り、その壁に龕を作り、龕の内部に岩塊をしつらえて、そこに塑像を並べたものである。塑像群は、東面が弥勒菩薩と維摩居士の問答、西面が釈迦仏舎利、南面が弥勒浄土、北面が釈迦涅槃の様子を、それぞれ表現している。

もっとも迫力があるのは、北面の釈迦涅槃である。死に面した釈迦が台座の上に横たわり、その周囲を十大弟子たちや聴聞衆が取り囲む。弟子たちはみな号泣する姿であらわされている。すべて裸体の上半身の左肩から衣を掛け、頭は剃っている。天を仰いで歯を食いしばる者、両手で胸を叩いて号泣する者、拳を握り、頭をかきむしって号泣する者もいる。その声が塔内の空間に響き渡るような錯覚さえ起こさせる。

これらは、その表情の迫真性からして、日本彫刻史上の傑作といえるが、仏教理解と言う点では、限界があると加藤周一は言っている(日本美術の心とかたち)。たとえば、これを敦煌莫高窟の仏陀の涅槃像と比較すると、それが良くわかるという。そこでは、中央に大きな像がよこたわり、その左右に未来仏と過去仏が立つ。このことで、仏の死と言うのはいまの瞬間的な出来事として終わるのではないという思想を表現しているわけである。

仏の諸相に対応するかのように、周囲の壁画に描かれている像は、上層の菩薩、中程の弟子たち、下層の外道というように三層からなり、泣き悲しんでいるのは弟子たちだけである。上層の菩薩にとっては、仏の死は未来で生まれ変わることを意味し、外道の人々にとっては、何ら関心のないことである。

つまり、敦煌の莫高窟の塑像群は、仏の死を様々な立ち位置から重層的に捉えているといえる。これに対して、日本のそれは今現在に注意を集中している。そこが、仏教理解がまだ不十分なことの証拠だと、加藤はいうわけである。


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