七人の侍(1):黒沢明の世界

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黒沢明の映画「七人の侍(1954年公開)は、小津安二郎の「東京物語」や溝口健二の「雨月物語」と並んで、日本映画を代表する作品だとの評価が高い。しかもそれは、単に作品として素晴らしいというにとどまらず、世界の映画に与えた影響という点でも、桁違いのスケールを誇っている。映画評論家の四方田犬彦によれば、ハリウッド映画の「荒野の七人」を始め映画先進国で次々とリメークされたほかに、最近では東アジアなどの発展途上国でもリメークされている。つまり「七人の侍」ものといったジャンルが成立し、それがいまだに世界中の映画ファンによって支持されているというのだ。(四方田「『七人の侍』と現代」岩波新書)

この映画の筋を大雑把に言えば、圧倒的な敵の脅威にさらされている共同体が、外部から助っ人を呼んで来て共同体の防衛を託す、助っ人たちは、それぞれに強烈な個性を持っているが、指導者のもとで一致団結し、しかも共同体のメンバーをも動員しながら、圧倒的な敵を倒して共同体を防衛する、その結果自らも大きな損失を出すが、守ってやった共同体に恩着せがましいことは一切言わずに立ち去っていく、というものだ。

これは非常にわかりやすい筋なので、世界中の人々の共感を呼んだのだろう。ジョン・ウェインなどは、これをベトナム戦争に適用して「グリーン・ベレー」という映画を作ったが、そこでは南ベトナムのある共同体を舞台に、ベトコンが適役になり、それを米軍のグリーン・ベレー部隊が撃退するという具合になっている。これなどは戯画化された一例だが、同じような内容の映画が次々と作られていったわけである。

黒沢はこの映画の舞台を戦国時代の末期に設定した。天正15年というから、本能寺の変が起きて数年後、秀吉が天下統一を成就しようとする頃である。時代はまだ混乱を引きずっていて、日本中に野伏と呼ばれる盗賊が横行していたということになっている。前年の1953年に公開された溝口健二の映画「雨月物語」も戦国時代の末期を舞台にしており、そこでもやはり野伏たちが百姓たちの共同体を略奪する場面が出て来るが、そうした野伏たちというのは、戦線から離脱した雑兵たちが徒党を組んで盗賊化したものであろう。

その野伏たちが砦を作って集団生活をし、近隣の村落を襲っては略奪している。この映画では、ある部落共同体が野伏たちによって繰り返し略奪されてきたということになっている。今年も麦の収穫期を迎える頃に、その野伏たちが偵察にやってきた。それを知った村落は大騒ぎになる。おとなしく言いなりになって命を助けてもらおうというものもいれば、果敢に抵抗しようというものもいる。結局村の長老である「じさま」の意見を聞こうということになるが、じさまは、侍を雇って撃退して貰おうと言い出す。じさまは自分の見聞にもとづいてこんなことをいうのだ。先祖代々の村を逃れてここへ逃げてくる途中様々な村を見たが、ほとんどは野伏に略奪を受けていた。しかし受けていないのもあった。そこは侍を雇って野伏を撃退したのだ。そういってじさまは、自分たちも侍を雇おうと言いだしたわけなのである。この話から、この村落が「逃散」をしてここへ流れてきた人々の共同体だということが明らかになる。そんなわけだから、彼らは権力による庇護は期待できず、自分たちの命や財産は自分たちで守らなければならないわけなのだ。

こうして共同体から派遣された人々が町へ赴き、強くて頼りになりそうな侍を物色する。この映画の前半は、その侍たちがいかにして集まったかという物語である。

まず、侍集団の核となる男が選ばれる。志村喬演じる島田勘兵衛である。子供を人質にとって納屋にたてこもった盗人に対して、僧形に変身して握り飯を持って近づき、相手が油断した瞬間に飛びかかって殺す。一瞬の離れ業である。このアイデアを黒沢は「本朝武芸列伝」という剣豪列伝から思いついたという。この場面は上泉秀剛という剣豪の武勇伝を下敷きにしたもので、そのほかにも、塚原卜伝や柳生十兵衛の武勇伝も生かしたうえで、侍たちの武勇ぶりが紹介されている。侍たちの中で最も侍らしく描かれている九蔵(宮口精二)は柳生十兵衛を下敷きにしているらしい。こうして、五郎兵衛(稲葉義男)、七郎次(加藤大介)、平八(千秋実)、久蔵、勝四郎(木村功)、菊千代(三船敏郎)の順でメンバーが決まっていく。その過程で、侍たちの個性の一端が披露される。そこがこの映画の前半における最大の見ものとなっている。

メンバーの中でひとり変わり種がいる。菊千代だ。この男は勝四郎と同じく勘兵衛の武勇ぶりをみてすっかり感心したのだっただが、それを素直にいうことができない。勘兵衛の前にたびたび現れては、奇異な行動をするばかりだ。そんな菊千代を勘兵衛はなかなか相手にしない。こいつは侍ではなく百姓だろうと思っているからだ。その気配を感じた菊千代は、武士の系図を盗んできて勘兵衛の前に差し出し、その最後に書いている名前が俺のことだという。勘兵衛がその部分を読むと天正三年生まれと書いてある。そこで勘兵衛は、お前は十三歳にしては大きな子どもだなと言って冷やかす。しかし、菊千代の余りの熱意にほだされて、勘兵衛はこれもメンバーに加えてやる。こうして七人揃った侍たちが自分たちを雇った村にやって来るのである。雇われたといっても、たいした報酬がもらえるわけではない。ただコメの飯を食わせてもらえるだけだ。そんな条件で危険な仕事を何故引き受けたか、その辺はくだくだしくは説明しない。観客の想像にゆだねるというわけだ。

彼らが村にやって来ると、出迎える者が誰もいない。じさまが出てきて、みな恐れているのじゃと言い訳をする。すると村中がいきなり大騒ぎになって、大勢の人々が逃げ惑うようにして家々から出てくる。番木が鳴ったのを聞いて、野伏の襲来と勘違いしたのだ。それを見た勘兵衛がわけを問いただすと、番木を叩いたのは俺だと菊千代が言う。そして百姓たちに向かって散々に毒づく。自分たちから頼んでおいてこのざまはなんだというわけである。

このように、この映画の中の百姓たちは、怯えてばかりいる無力な存在だという風に描かれている。一方、野伏のほうは、その無力な百姓に襲い掛かる狼のような存在として描かれている。七人の侍は、その狼のような野伏から羊のようにおとなしい百姓を守護するという役割だ。こういう設定に関しては、色々と批判もある。四方田も紹介しているように、当時の百姓は、自分たちも武装していて、敵に対しては果敢に戦った。ましてや、この映画の中の百姓は逃散してきたということになっている。逃散というのは強力な武力が無ければ成功しない。それは命がけの行為なのだ。また、逃散をしない村にあっても、自分たちの安全は自分たちで守るという姿勢が必要だっただろう。だから、この映画の中の百姓のように、無防備でか弱い存在だという設定は事実とは異なっているという批判があるわけなのである。

野伏の描き方にも批判がある。この映画の中の野伏たちは、一方的に悪い連中というふうに決めつけられているが、彼らと向かい合う七人の侍たちと、たいして違う立場にいるわけではない。戦線から離脱した雑兵たちは、野伏になって略奪する場合もあれば、次の仕官口を求めて放浪する場合もある。だから、野伏もこの映画の中の侍も、別に決定的な対立関係にあるわけではなく、たまたまこういう形で、戦いあう状態に立ち至っただけなのだ、というわけである。

しかし、百姓たちのしたたかさは次第に表面化してくる。百姓の訓練中に、左卜全演じる百姓が槍を持っていることに気付いた菊千代が、村の中に隠匿している武器を悉く差し出させるのだが、それらはこの百姓たちが落武者から奪ったものに違いなく、日頃から武装していることの証拠なのだ。そんな経緯があるからこそ、彼らは侍たちに指導されながらも、四十人もの野伏を相手に、相応の活躍をすることが出来るわけなのである。

百姓たちが落ち武者から奪った武器をみて、侍たちは怒りを覚える。自分たちも落ち武者になってひどい目にあったことがある。だからこんなものを見ると、落ち武者への無念さの感情がこみ上げてくる。そのあまりに、この百姓どもを切りたいとまでいうものもある。すると菊千代が百姓の立場を代弁して、お前たちは百姓をなんだと思っているのだと反論する。こいつらは生きるためには何でもやる。そうしなければ生きていけない。そうしたのはほかならぬお前たち侍ではないか。そういって激しく侍たちを罵るのである。そんな菊千代をみて、勘兵衛は「お前は百姓の生まれだな」とつぶやき、正気に戻るのである。









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