七人の侍(2):黒沢明の世界

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勘兵衛たちは村の中を見回って、防衛のための周到な準備をする。そうこうするうち、いよいよ野伏が物見に現れる。それは、勝四郎が山の中で男の姿に変装した村娘志乃(津島恵子)と出会うシーンのなかでだ。二人がもみあって倒れたところで人の気配を感じる。三人の野伏が偵察にやってきたのである。

勘兵衛たちは、この物見を返すのはまずいと言って、彼らのうち二人を殺し、残りの一人を生け捕りにして、野伏たちの内情を聞きだす。すると村人たちが捕虜のまわりに群がって殺そうとする。勘兵衛たちはそれを制止するのだが、一人の老婆が鍬を担いで現れる。息子の仇を討つのだというのである。それには勘衛も逆らうわけにいかず、捕虜は老婆たちによって殺されてしまう。

ここからいよいよ、野伏たちとの戦いが繰り広げられる。後半の息づまる戦いシーンの始まりだ。まずは、こちらから先制攻撃を仕掛けて、野伏たちの勢いを削ごうとする。その最中に侍の一人平八が鉄砲に撃たれて死ぬ。同行した百姓の利吉が、砦の中に自分の女房がいることに気づいて錯乱し、それを制止しようとした平八が鉄砲の標的になったのである。

こうして犠牲者の饅頭がひとつ築かれた。勘兵衛の控えには、饅頭の数と、四十個の丸が書かれている。饅頭は犠牲になって死んだ人の数、丸は倒すべき敵の数だ。犠牲者が出て意気消沈する人々を前に、菊千代が家の屋根の上に幟を立てる。その幟には、侍たちをあらわす丸印や、百姓をあらわす「た」と言う字が書いている。丸の数は六つだ。菊千代は侍には数えられておらず、丸ではなく三角印なのだ。

その後、野伏たちによってじさまの家が焼かれるシーンがある。じさまは勘兵衛が設定した防衛ラインの外側に住んでいたので、防衛ラインの内側に非難するように言われていたのだが、それを拒んで残っていたために、野伏たちに殺されてしまう。その際に、菊千代が助けに赴き、小さな子供を受け取る。その子供を見た菊千代が号泣して、「こいつはおれだ」と叫ぶ。彼自身が戦乱によって生まれた孤児の一人だったということが明かされたわけである。

戦いの場面は次第に急を加えていく。なにしろ敵は大人数でしかも全員が馬に乗り、鉄砲も何丁か持っている。その敵と正面から向かい合うのでは勝ち目は薄い。そこで、敵を一人ないし二人ずつ村の中に入れて、それを大勢の百姓で始末するという作戦をとる。この作戦は効を奏して敵の数は次第に少なくなっていく。こうして敵の数が十三騎になったところで、勘衛たちは決戦を決断する。今度は敵を全員村に入れて、一気に殺してしまおうというのである。

決戦を前にして、勘兵衛は百姓たちを休ませてやる。家族に会いたいものは会ってもよいと伝える。明日は死ぬかもしれない、そんな予感がそうさせたのである。そうした雰囲気は誰もが感じる。百姓の娘志乃もその一人だ。彼女はもしかしたら自分も死ぬのではないかと思っている。そこでどうせ死ぬのなら思いを遂げたいと、勝四郎を誘惑するのである。

決戦の場面はすさまじい雨のなかだ。黒沢は雨を効果的に使うのがうまく、ここでも決戦のすさまじさを、これもまたすさまじいほどの雨の降り方によって演出している。この場面を取るのに、黒沢は8台のカメラを同時に回転させたということだ。なにしろすさまじいシーンなので取り直しは簡単ではない。そこで8台のカメラで多角的に捉えて置けば、質の高い映像が確保しやすい、という判断があったのだろう。もう一つはそれら複数のカメラで撮った映像をもとに、モンタージュにすることが出来る。モンタージュは動きのある画面を取るには不可欠のテクニックだ。

この戦闘の中で、五郎兵衛、久蔵、菊千代の三人が倒れる。いずれも鉄砲によって撃たれたのだ。菊千代を撃ったのは野伏の首領(高木新平)だが、菊千代は撃たれたあとでもすぐには倒れず、全身の気力を振り絞って首領に立ち向かい、ついに首領を殺してから倒れるのである。倒れた菊千代のむき出しの尻が映し出され、その泥まみれの尻が雨に打たれて次第に白くなっていく。その変化が、命のはかなさをかえって逆説的に映し出す。

ラストシーンは、百姓たちが田植えをする光景である。生き残った三人の侍はそれを横目で見ながら、死んだ仲間たちの土饅頭を見上げる。その傍らを志乃が通り過ぎていくが、もはや勝四郎への愛着はない。再び共同体の一員として、生きていくことを決断したというように、女たちの田植えの列に加わり、田植え歌を歌いだす。そんな共同体の百姓たちを見ながら、勘兵衛が、あの、伝説になった有名なセリフを吐くのだ。「また、負け戦じゃったな・・・勝ったのは、あの百姓たちじゃよ」








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