反時代的考察:ニーチェの教養俗物批判

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ニーチェはすでに「悲劇の誕生」において、近代人のものの見方を規定している合理主義的・主知主義的考え方を、「ソクラテス批判」という形をとって強烈に批判していたが、なにしろ批判の直接の対象が古代の哲学者であったということもあり、同時代人にはあまり痛烈には響かなかったきらいがあった。ニーチェの同時代人たちは、そんな批判に気を配る程の暇人ではなかったためでもある。そこでニーチェは、批判が批判としてスッキリと判るような形で、つまりストレートな言い方を以て彼の同時代人たちの物の考え方を批判することにした。その成果が「反時代的考察」という表題のもとに収められた四つの論文である。まさに題名が如実に物語っているように、この書物は同時代のドイツに対する強烈な批判、反ドイツの書なのである。

四つの論文のうち第一論文の「ダーヴィッド・シュトラウス、告白者と著述家」は、彼が当時すでに手厳しい軽蔑をもって見下していたドイツ的教養に向けられた批判であり、第二論文「生に対する歴史の利害」は近代的学問経営、それは歴史的感覚を特徴とするが、それを病気として、衰退の兆候として暴き出したものであり、第三、第四の論文はそれぞれショーペンハワーとヴァーグナーを引き合いに出しながら、頽廃した同時代の文化に対立するものとしての文化のより高い概念への復帰の方向を示しているといった具合だ。

それ故ニーチェは、この本を通じて同時代のドイツが陥っている病弊を明らかにしながら、それをいかに乗り越えてより高い段階へとドイツを高めていくか、ということを当面の目標としているわけなのである。したがってニーチェにとってこの書は、同時代への痛烈な批判であるとともに、警世の書でもあったわけなのである。

さて、第一論文の中でニーチェがまず取り上げるのは、1870-1871年に行われた普仏戦争での勝利に湧きかえる同時代のドイツである。この勝利に有頂天になったドイツ人たちは、ドイツが宿敵フランスに勝てたのは、あらゆる点でドイツ人がフランス人に優れているからだという妄想に耽っていた。つまりドイツ人は文化の面でもフランス人より優れている、そのことを証明したのが今回の戦争の結果だ、そういってドイツじゅうのドイツ人たちが湧きかえっていたのである。そのドイツ人の高揚感ともいうべきものにニーチェは水を差す。

「フランスとの最近の戦争がドイツに残したすべての悪しき結果のうちおそらく最悪のものは、普及した、いな一般化した誤謬、すなわちドイツ文化もまたあの戦争で勝利を収めた・・・という誤謬である。この妄想は極めて有害である。というのは・・・これによって我が国の勝利を完全な敗北に変ずること、すなわちこの勝利を"ドイツ帝国"のおかげでドイツ精神の敗北、いな根絶に変ずることが可能となるからである」(「ダーヴィッド・シュトラウス 告発者と著述家」小倉志祥訳、以下同じ)

つまり、この戦争がドイツ文化の優位性を証明したと思うのは妄想だというのである。しかもその妄想は極めて有害でもある、とニーチェはいう。そんな妄想に耽っているおかげで、ドイツ精神が敗北することになりかねないからだ。ニーチェによれば、この度の戦争でドイツがフランスに勝てたのは、ドイツ文化のせいなんかではない、ドイツ軍の武力がフランス軍にまさっていただけなのだ。

「ドイツ文化は武器の成果に一度も加勢しなかった。厳格な軍紀、天性の勇敢と耐久力、指揮者の卓越、指揮されるものの間の統一と服従、要するに、文化と何のかかわりもない要素がわれわれの助けとなって敵に対する勝利をもたらした。敵にはこれらの要素の最も重要なものが欠けていたのである」(同上)

こんな簡単な理屈でも、すなおにドイツ人の目に留まらないのは、戦争の勝利によって日頃抱いていた劣等感が吹き飛んでしまい、何もかもがバラ色に見えるからだろう。無学な庶民がそう思うのはある意味避けがたいことかもしれないが、教養ある人々までがそう思い込んでいる。

「ドイツの教養ある人々の間に最大の満足が支配していることはどうして可能なのであろうか。しかもこの満足は最近の戦争以来絶えず、思い上がった万歳をどっと挙げ凱歌を奏する気勢を示している。いずれにせよ世人は真の文化をもっているという信念の中で生活している・・・この勢力、この類の人間を私は名指したい~彼らは教養俗物である」(同上)

こんなわけで、同時代のドイツでは、上は教養人士から下は無学な庶民までが偉大なドイツ万歳といって、のぼせ上っている始末であるが、なかでも教養ある人々の罪は大きい。彼らは自分の教養を、同時代のドイツを礼賛するための道具として使い、人々のドイツに対する熱狂を煽り立てている。しかしそのドイツというものの内実と言ったらいったい何なのか。とても世界に対して誇れるような代物ではないし、フランスに対してだって優越を主張できない。ドイツは武力でフランスを倒したが、文化の面ではまだまだフランスの後塵を拝している状態なのだ。

ニーチェがここで批判しているような状況は、1942年の日本にも当てはまりそうだ。当時の日本も太平洋戦争の緒戦の勝利に沸き返っていた。なにせ強大なアメリカとそれが象徴する西洋文明を相手に、完璧に勝利できた直後のことだったから、国中上げて戦勝祝賀の気分に沸いていたのも無理はないが、そんな雰囲気を背景にして、日本の教養人士たちも、日本民族の優秀性を強調してはばからなかった。あの、今となっては歴史の戯画の一齣というべき「近代の超克」論の横行などは、そうした雰囲気を反映したものだった。教養俗物はだから日本でも相応の役割を果たしたわけだが、ドイツの場合とは異なって、日本は一人のニーチェを持つことがなかった。そのためかどうかわからぬが、日本の教養俗物たちのから騒ぎは、ほんの少しの間しか続かなかった。

日本の教養俗物のチャンピオンは、「近代の超克座談会」に登場した面々だったわけだが、ドイツの場合にはダーヴィッド・シュトラウスだった。そのシュトラウスに狙いを定めて、ニーチェは教養俗物の批判を展開するわけである。

ニーチェにいわせれば、俗物はどの時代どの社会にもいるものだし、彼らが俗物らしく振る舞っている分には許せるところもあるが、彼らが自分の分を超えて社会や時代を誘導しようとするのは許せない。

「彼らが彼らの学問的認識ではなく彼らの信仰でもってわれわれをもてなそうとするや否や、忌まわしいやり方で彼らの限界を超えることになるであろう。だがシュトラウスは、己の信仰について物語る時に、そうしているのである・・・未来の宗教の創設者としての俗物~これこそ最も印象深い形態における新しい信仰である。狂信者となった俗物~これこそ我が現代ドイツを特徴づける前代未聞の現象である」(同上)

つまりシュトラウスに代表されるドイツの教養俗物は、自分の信仰をわれわれに押し付けようとする。押し付けがましいとはこのことで、そんな押し付けは少しも有難くはないのだ。というより、社会や時代を腐らせるものなのだ。というのも、人々が道徳と称して有難がっているものも、もとはといえばそうした教養俗物どもが押し付けたものにすぎない。宗教だってそうだ。そんなもののためにわれわれは倒錯した生き方をして恥じない。ニーチェはそういって、教養俗物の批判を、同時代の道徳への批判、さらにはキリスト教全体への批判へと展開させていく構えなのだが、この書の中ではまだ構えの段階に留まって、詳細は後の著作に引き継がれたままで終わる。

ニーチェは後年「この人を見よ」の中で、この論文が収めた効果について、次のように語り満足の意を表している。すなわち、この論文は「異常な成功を収めた。それが呼び起こした騒ぎは、あらゆる意味で華やかだった。私は戦勝に酔っている国民の痛いところに触ったのだ、~彼らの勝利は文化的現象ではなく、おそらく何か別のものだということである」

関連サイト:知の快楽 





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