アル・シーシはエジプトの明智光秀?

| コメント(0)
140405.sisi.jpg

明智光秀といえば、日本の歴史上さえない男の代名詞になっているが、平成になってもなお亡霊が彷徨しているらしいところから、日本の負の宿命かと思ったら、同じような男がどうやらエジプトにもいるらしい。今や破竹の勢いで、権力を簒奪しようとしているアル・シーシ将軍のことだ。

アル・シーシ将軍がなぜ明智光秀と似ているかといえば、その行動様式だ。明智光秀は信長の忠実な部下として頭角を現した後、主君の信長を殺して権力を握ろうとした。そんなところから、日本の歴史上「うらぎり」の権化のような扱いを受けている。アル・シーシ将軍も、「うらぎり」の名人としての評価が高い。かれの場合には、光秀の信長に相当するのは、モルシ元大統領だ。かれは、信心深いムスリムを装って自分をモルシに売り込み、モルシの信任を得て、軍部内での自分の地位を確立した。ところが、モルシの旗色が悪くなったと見るや、いち早くモルシを裏切った。そんなところからアル・シーシ将軍は、ムスリム同胞団のみならず、普通のエジプト国民からも、裏切り者として見られているようだ。もっとも、エジプト国民がどれほど「うらぎり」を嫌悪しているかは、筆者にはよくわからないが。

しかし、アル・シーシには、光秀と違うところもある。そのひとつは、モルシの仇を討つような有力なライバルがいないということだ。光秀の場合には、同僚の秀吉がいち早く復讐の動きに出て、すばやく光秀を打ち取った。ところが、エジプトにはいまのところ、モルシの仇を取ろうとするような有力な男はいない。それどころか、アル・シーシは軍部内での自分の勢力を着々と拡大し、その力をバックにして、権力の簒奪を達成しようとしている。

なぜ、光秀とアル・シーシの間にこんな違いが生まれたかと言うと、それは他でもない。光秀の場合には深謀遠慮に欠けたところがあった、ということだ。かれが信長を襲ったのは、どうも一時の激情に駆られてのことだったようだし、そもそも権力簒奪に向けての用意周到さに欠けていたと言わざるを得ない。

ところが、アル・シーシは、そんなバカ者ではなかった。かれは、モルシを騙して権力の端くれに上った時点から、自分自身がエジプトの支配者になろうとする意思があったのだと思われる。そうでも仮定しなければ、かれがこれほど都合よく、エジプトの独裁者になれるはずはなかったと思う。





コメントする

アーカイブ