白楽天の長恨歌がなったきっかけは、友人たちと共に仙遊寺に遊んだことだったことは、先稿で述べたとおりだ。その時に白楽天と行動を共にした友人の一人に王質夫がいた。白楽天が都に上ったのと前後して王質夫も都に召されたと思われる。ところが何かの事情で失脚したらしく、王は都を追われて故郷へ帰ることになった。その折に白楽天が王に送った詩が「送王十八歸山寄題仙遊寺」である。かつてともに遊んだことをなつかしみ、今後そのような喜びが得られないことを嘆くとともに、故郷へ帰れる友人を羨むと言って、慰めてもいる。
白楽天の七言律詩「王十八の山に歸るを送り、仙遊寺に寄題す」(壺齋散人注)
曾於太白峰前住 曾て太白峰前に於いて住み
數到仙遊寺裏來 數しば仙遊寺裏に到り來る
黑水澄時潭底出 黑水澄む時 潭底出で
白雲破處洞門開 白雲破るる處 洞門開く
林間暖酒燒紅葉 林間 酒を暖めて紅葉を燒き
石上題詩掃綠苔 石上 詩を題して綠苔を掃く
惆悵舊遊無複到 惆悵す 舊遊複た到ること無きを
菊花時節羨君回 菊花の時節 君が回るを羨む
かつて太白峰前に住み、しばしば仙遊寺を訪れた、黒水が澄めば淵の底が見え、白雲が途切れれば洞門が開いた(太白峰:秦嶺山脈の峰、仙遊寺:陝西省盩厔県にあった寺、潭底:川の淵の底、洞門の入り口)
林間酒を温めるために紅葉を焼き、石上詩を題せんとして苔を削り取る、悲しいのはもう二度とこのような遊びができないことだ、というのもこの菊花の季節に君は故郷へ帰るのだから(惆悵:憂い悲しむこと)
「林間暖酒燒紅葉、石上題詩掃綠苔」の対句は有名で、わが国でも古来たびたび引用されてきた。
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