21世紀型小作農の創出:安倍政権の農業政策の行方

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渡辺靖著「アメリカン・デモクラシーの逆説」を読んで、ゲーテッド・コミュニティや監獄ビジネスの実態に関心を引きつけられたが、それと並んでもう一つ、アメリカの農業の実態にも強い関心を抱かされた。ゲーテッド・コミュニティや監獄ビジネスは、日本では起きる可能性が感じられず、したがって他人ごととして聞き流せるが、農業のあり方については、日本もアメリカの二の舞を踏むことになりかねない。つまり、問題としては非常に深刻なわけだ。

牧畜業を中心とした、いまのアメリカ農業について、著者は「ネーション」誌の表現を引用して、「牧場のフランチャイズ化」と「農民の小作化」が進んでいるとしている。牧畜業の分野では、飼育から屠畜、処理、加工まで、四大パッカーとよばれる四つの巨大食肉会社が全米の80パーセントの食肉流通を支配している。その中で、個々の農民は、生産から販売に至るまでパッカーのいうままになっており、その立場は、かつての小作人と異ならない。同じことは、小麦や大豆などの作物についてもいえる。つまり、現代のアメリカ農業は、巨大資本が個々の農家を支配下におさめ、彼らを事実上小作人の状態に追いやっているというのである。

こうした傾向は、1980年代のレーガン政権による規制緩和によって強まったという。規制緩和によって、農業分野における寡占支配が進んだというわけである。

これと同じようなことを、実は日本の安倍政権もやろうとしているのではないか。そんな危惧を抱かされるような動きが、産業競争力会議の中で議論されているという。この議論には、二つの柱があって、ひとつは農協の解体、もうひとつは企業による農業経営の解禁だ。どちらの柱も、農業に市場化の原理を持ち込み、巨大企業による農業支配に道を開こうというものだ。

まず、農協の解体。同会議では、現在ある農協の全国組織を事実上解体しようとしているが、その主な目的が、農協の政治力を削ぐことで農業への規制緩和の導入をやりやすくすること、それによって、農業に市場の論理を持ち込むことにあることは、見え透いたことだ。

また、農業分野における企業経営の自由化は、資本主義的農業への道を加速させる。それが、今日のアメリカのような、大企業による寡占支配と農民の小作化につながることは十分に予想されることだ。

このような問題が予想されるにかかわらず、同会議がそれを真剣に議論している気配は伝わってこない。伝わってくるのは、農業にも資本の論理を徹底させようという、市場原理主義者たちの前のめりな主張ばかりだ。

アメリカの農民の間には、大企業による寡占支配に対抗するために、農民たち自身による協同組合を作ろうという動きがあるそうだ。それによって、大企業の横暴に対抗しようというわけだが、日本では、その農民自身の共同体と言う位置づけの農協を、解体しようとしているわけだ。







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