血縁関係よりも法律の規定を優先:父子関係への最高裁判決

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父子関係の取り消しを求めて争われていた三つのケースについて、最高裁の判決が出た。三つのうち二つのケースは、母親と子どもの側から提訴されたもので、いづれも、現在は子どもの血縁上の父親と母子が一緒に生活をしている事態を踏まえ、法律上の父親との間の父子関係の解消を求めたものだ。他の一つは、法律上の父親から出されたもので、自分と血の繋がっていない子どもとの間の父子関係の解消を求めたものだ。このいづれのケースについても、最高裁は父子関係の取り消しを認めなかった。その主な理由は、子の身分の保障という。

これらの争いの背景には、DNA鑑定の進化という事情がある。いまでは、DNA鑑定によって、実際の血縁関係が100パーセント近い確率で証明できるのであるから、その成果を尊重すべきだという世論の動きがある。そうした世論は、現行民法が定める父子関係の規定は、科学が進歩していない段階での、いわば次善の策のようなものなのだから、化学が進化した今では、いつまでもこだわる理由はない、と言うのであるが、今回の最高裁の判決は、それを正面から否定したわけである。

最高裁はその理由として、子の法律上の身分を安定させることが優先されるべきだと言っている。しかし、今回のケースを見れば、血縁関係が化学的に証明された父子が一緒に暮らしているのにかかわらず、彼らの(法律上の)父子関係を否定することに、どれほどの合理性があるのか。このケースの場合にはむしろ、子の法律上の権利が阻害されると考えるほうが理屈にあっているのではないか。

上記三つのケースの第三のものについては、法律上の父親が父子関係の取り消しを求めたものであることから、それを否定することには、子の利害の上から一定の理由があるかも知れない。最高裁とすれば、三つのケースは同一の法理によって裁断されるべきだと考えているのかもしれないが、この三つのケースを違った法理で裁くことには、かならずしも深刻な問題があるとも思えない。

現行の民法の規定は、妻の側の事情よりも、亭主の面子のほうを優先しているフシがある。字面からすれば、その反対で、亭主は心当たりのない子どもを押し付けられるのだから、これは亭主にとってひどい規定だとする理屈が成り立たないわけでもないが、逆に言えば、その子の父親は私が一番よく知っています、という女性側の言い分を聞かないわけであるから、女性蔑視の規定だと言われても仕方のない側面があるのではないか。

いずれにしても、今回のような判決は、民法が変らない限り続くだろうと思われる。時代の変化を踏まえ、家族法のあり方を考え直す時ではないか。





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