アメリカの監獄ビジネス

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渡辺靖著「アメリカン・デモクラシーの逆説」(岩波新書)は、オバマ時代(つまり現代)のアメリカ社会の諸相について、ルポルタージュ風に紹介したものだ。著者は自分の仕事を「フィールド・ワーク」といっているが、この本は、「カタリーナ台風」に見舞われたニュー・オーリンズの街のフィールド・ワークを始め、アメリカ社会が直面している様々な問題について、机上で考えるのではなく、あくまでも現場の動きに即して考えていこうとする態度に貫かれている。

いくつか興味深いテーマがある中で、筆者がもっとも注目したのは、ゲーテッド・コミュニティと監獄の実態だ。どちらも、現代アメリカが抱えているセキュリティ・パラノイアとでもいうべき現象を象徴していると著者は言う。ゲーテッド・コミュニティは、「小さな政府」によって公的なセキュリティが縮小される傾向を補うために出てきた現象だし、監獄の問題は、現代アメリカのセキュリティの貧困そのものを映し出している、というわけだ。

監獄と言えば、負のイメージしかなく、社会にとっての必要悪、あるいは死重としてしか受け取られないのが普通だが、アメリカにおいては必ずしもそうではない。監獄が、地域にとっては経済活性化の一つの強力な手段となり得ている実態がある。そうした現象を、著者は「監獄ビジネス」といって、それがアメリカで果している逆説的な効果について紹介している。

アメリカの収監者数は、1980年代以降増え続け、現在(2010年)230万人を超える。これは農業人口を上回る数字であり、成人100人につき1人が服役していることになる(日本の10倍だ)。これを、著者のいう「カラーライン(人種の別)」の視点からみると、アメリカの人口の七割は白人なのに、収監者の七割は非白人だ。また人口全体の十三パーセントを占めるに過ぎない黒人が、収監者の半数を占めている。「黒人が収監される比率は白人の七倍以上で、三人に一人が生涯に一度は収監される計算になる。二十代の黒人男性の十人に一人が収監されており、大学に通っている数より収監されている数の方が多い」

そんな監獄は、「産業の空洞化に直面した地域にとって魅力的な存在だ。季節や天候に左右されることもなく、環境汚染の心配も少なく、住民の目にふれることもほとんどない。契機に左右されることもなく、地域に安手した雇用と収入をもたらしてくれる」というのである。

これを著者は「負の公共文化」とか「恐怖の文化」とかいっているが、それは物事の一面を見ているからで、他の面から見れば、「災い転じて福となす」といえなくもない。

日本では、監獄がビジネスとして成立する事態は想像できない。その代わりと言ってはなんだが、原発が立派なビジネスとして成立してきた。その傾向は、恐らく今後も変ることはないだろう。






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