蓮華王院三十三間堂:平安時代後期の寺院建築

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(蓮華王院三十三間堂)

院政期における上皇による寺院建築として今日にその面影を伝えているのは、三十三間堂の名で知られる蓮華王院である。長寛二年(1164)、後白河上皇が御所とした法住寺の一角に作られ、丈六の中尊と千体の千手観音と二十八部衆を安置した。仏師は、康慶、運慶父子のほか、京の六条万里小路、七條大宮両仏処の仏師も参加した。

この建築物は建長元年(1249)に洛中の火災により消失、その際に中尊の頭、百五十六体の観音像、二十八部衆は取りだされた。それらを補修し安置するために、文永元年(1266)に新たに作られたのが、現存する三十三間堂である。構造は、元の建物を踏襲しているという。

千体観音の発想は、遠く九品仏の発想に淵源しているといわれる。九品仏(九体阿弥陀)から千体阿弥陀の発想がうまれ、それが千体観音へとつながっていったらしい。多くの仏を拝むほど、供養も大きくなると考えられていたのであろう。

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