死後への備え:献体を選択する人々

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筆者が属している所謂団塊の世代が今後後期高齢期から末期高齢期へと進んでいくに従い、年々死亡する人の数も増えて行く。NHKはそれを多死社会の到来と呼んでいたが、たとえば2030年には160万人もの人が死亡するだろうと推定されている。一方生まれる者はそれよりはるかに少ないから、人口が急速に減少するのも無理はない。

多死社会になって一番問題になるのは葬儀だろう。まず、火葬場の数が問題になる。いまのままでは到底増加する火葬の要望に応えられないだろう。火葬場はすぐに作るというわけにはいかないから、いまのうちからせっせと準備しておく必要があろう。

火葬場は死者を焼く施設だが、焼かれる方の問題もある。2030年ともなれば、一人暮らしの老人が爆発的に増えているだろうから、誰がその人たちの葬儀を出してやるかが問題になる。場合によっては、孤独死したまま誰の目にも触れず、長い間放置されたままということにもなりかねない。

そこで、自分の死後に備えて、いろいろ準備しておこうという動きが、老人や老人候補者の間で広がっているという。金のある人は、それなりに準備のメニューも豊富にあるだろうが、金のない人には選択肢が限られている。ケースによっては、自分の葬儀を出してもらうための金の準部ができない人も出て来るだろう。また、金の準備ができても、迷惑をかけるに忍びないという人もいることだろう。

そこで、そういう人々の間で献体の動きが広がっているという。献体というのは、死後自分の遺体を解剖に提供するというものだ。本来は医学の振興というような名目で始まったのだったが、最近はこれを自分の葬儀代わりに選択する人が出てきているのだという。献体を受け入れている医科大学などの研究機関では、遺体を解剖した後、最後の最後まで面倒を見て、葬儀まで出してくれるというのが一般的だそうだ。そこに目をつけて、献体を自分の葬儀の一手段として選択する人が現れた、ということらしい。

しかし何人も、献体者を批判することはできないだろう。




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