思想放談:西部邁と佐高信の対談集

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西部邁は、左翼として出発し、後に右翼・保守主義に転向したのだそうだ。左翼といってもそう根の深いものではなかったらしく、東大に入学したあとブントの学生運動にかぶれた程度であったらしい。だから、豚箱に半年ほどぶち込まれると目が覚めて正気に戻ったということのようだ。その点は、筋金入りの左翼として出発し、ブントにも理解を示しながら、終生左翼的な心情を抱き続けた廣松渉とは大きな違いがある。

左翼から右翼への転向組に共通して見られるのは、左翼に対する異常な敵愾心だ。その点では西部も人後に落ちず、左翼的なものは一切受けつけないと自分でも言っているほどだ。どうも生理的な反発感を感じるようだ。一方、彼自身がどんな思想的な立場に立っているかと言うと、それは彼自身の言葉では保守主義ということになるのだろうが、ではそれはそんな内実を持った思想なのかといえば、(少なくともこの対談集での発言を読む限りは)かならずしも明らかではない。

日本に保守主義と言えるものが本格的に登場したのは戦後のことである。敗戦以前の日本には、右翼や全体主義の動きはあったが、厳密な意味での保守主義は存在しなかった。というのも、保守主義というのは、守るべき伝統を破壊するような勢力があらわれたことを前提にしているからだ。そのような伝統破壊者から古き良き伝統を守る、というのが保守主義の出発点だった。歴史上保守主義の先覚者と言われるエドマンド・バークは、フランス革命の影響から、中世以来のヨーロッパの政治的・社会的伝統を守ることに最大の意義を認めていたわけである。

敗戦以前の日本には、伝統を脅かすような有力な勢力は存在しなかった。だからことさらに保守主義を云々する必要もなかったわけだ。ところが、敗戦を契機にして、日本の伝統を脅かすような勢力が現れた。一つは戦勝国アメリカによるアメリカ的な価値の押し付けであり、もう一つは共産主義の台頭だった。こうした新しい動きに対して、日本の伝統的なものを守ろうとする意識的な運動が明確な形をとっていく。それが戦後日本の保守主義の基本的な流れだったといってよい。そしてその保守主義には二つの支流が生じた。ひとつは反米ナショナリズムであり、もうひとつは親米反共主義である。

この二つの支流のうち西部が掉さしているのは、前者の反米ナショナリズムであるらしい。これはアメリカ的な価値の押し付けに強いアレルギーを示す一方、日本的な伝統への拘りを持ち味としている。ところがその日本的な伝統とは何か、という基本的な問題については、先程も仄めかしたように、かならずしも明確なビジョンがあるわけではない。というのも、日本の歴史的伝統には非常に屈折したところがあって、バークがイギリスについて論じたような、歴史的な連続性を明瞭に指摘することができないからだ。

西部は、日本の伝統と事あるごとに言うが、その伝統の内実は、たかが明治維新以降に形成されてきたものだ。ところが明治維新というのは、見方によれば、徳川幕府による支配から、薩長藩閥勢力による支配へとスイッチを切っただけのものに過ぎない。天皇制は、この薩長による支配を正当化するための隠れ蓑として使われたわけである。靖国神社などと言うのも、もともとは戊辰戦争で死んだ薩長側兵士を弔うために設けたのが始まりで、それが以降の帝国主義戦争の戦死者をも合祀するようになったために、やっかいな問題を孕むようになったわけである。

こうしたわけで、日本の保守主義は極めて根が浅いといえる。その辺のことは西部も意識しているのだろう。なにしろ、日本には保守主義的な思想の伝統などないといってもよいわけだから(右翼・全体主義思想は別にして)、西部も苦し紛れに福沢諭吉を使わざるを得ないはめになるというわけであろう。

福沢諭吉といえば、日本の思想史の上では進歩的な人物(今でいえば左翼的人物)として通っている。それを西部は、保守主義の論客として位置付けようとする。だが、その根拠として西部が上げているのは、日清戦争における日本の勝利を福沢が大変喜んだという点くらいである。しかし、戦争に勝ったことを喜んだくらいで、筋金入りの保守主義者とはいえまい。保守主義というのは、積極的な意味合いでは、日本の古い伝統を守ろうとする運動と言えるが、ほかならぬその古い伝統の基本的な部分(権威主義等々)を、福沢程排撃した人物はいなかったわけである。だから、福沢を保守主義の伝統のうちに位置付け直そうとするのは、語るに落ちる行為だといわねばならない。

西部が丸山真男を憎むのは、丸山が福沢を日本の左翼的な伝統に位置付けようとするからに他ならない、どうもそのように筆者は感じた。福沢というかけがいのない人物を、左右両側から引っ張り合っているように見えるのだ。

しかし解せないのは、西部が何故保守主義にこだわるかということだ。西部はいわゆるエリート層の出身ではない。むしろ北海道の片田舎に育って、政治的・社会的な特権とは無縁な層から這い上がってきた人間といってもよい。それが、エリート層の利害を代表しているといってよい今日の日本の保守主義なるものと一体感を感じることができるとは、西部はどのような感性の持ち主なのか、と問わざるを得ない。








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