アホノミクスからドアホノミクスへ:進化するアベノミクス

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アベノミクスの阿呆ぶりを称して「アホノミクス」と断じたのは、日頃率直な物言いで知られる経済学者の浜矩子女史だが、その女史が最近は「アホ」のうえに「ド」をつけて「ドアホノミクス」というようになった。その訳は二つあると女史は言う。一つは、「アベノミクス」が人間不在である点、もう一つは、アベノミクスがグローバルな経済環境と親和性が低く、このままでは日本の国民経済が消滅する恐れがあるという点だ。

アベノミクスが人間不在なのは、あまり頭をひねらなくともわかることだ。非正規雇用労働者の劣悪な労働・雇用環境を放置する一方、正規労働者を酷使するブラック企業を野放しにしていること、これらはアベノミクスが人間を眼中に入れていないことのあらわれだ。アベノミクスがこだわるのは、インフレ率の上昇やら株価の高騰やらの経済指標ばかりだが、それらの経済指標がいくら良くなっても、肝心の国民の生活が貧しくなるばかりでは、本末転倒だ、というわけである。

またグローバルな経済環境との親和性と言う点では、彼女はいくつかの事例を持ち出しているが、要するにアベノミクスが経済のグローバル化を一面的にしか捉えていないということのようだ。安倍総理が世界経済に言及するときには、日本が世界をリードするとか、世界との競争に打ち勝つとか、そんな勇ましい話ばかりが持ち出されるが、グローバル化の本当の意味はそんなことではない。グローバル化というのは、経済環境が国境を超えて広がっていくということであり、そうした国際的な広がりの中で、日本としてどのような経済活動を追求したらよいかが問題となる。ということは、世界の諸国と協調しながら経済活動をしていくことが大事ということであって、他国と競争し、他国を追い落とすというのは、狭い考え方だ、と女史はいうわけなのである。

たしかに、今の日本経済は、日本という国内だけで成り立っているわけではない。製造業の海外進出はどんどん進み、他国と深い関係で結ばれてきている。そんな中で、円安などの為替変動が日本経済にもたらす影響も複雑になってきている。ところがアベノミクスは、一国モデルの従来の経済の発想にとらわれている。だから、円安は日本経済にとって善い事ばかりだなどといった発想をするわけである。

アベノミクスが人間不在で、かつグローバル経済との親和性に欠けているのは、それの内実が富国強兵にあるからだと女史は言う。経済を底上げして国を富まし、その富で軍事力を養う。それが安倍政権の究極的な目的となっている限り、アベノミクスの人間不在でグローバル化に乗り遅れた経済運営は止まないだろう、というわけである。「アホ」が進化して「ドアホ」になっていく所以であろう。






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