銀座で豆腐を食う:梅の花にて

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昨年の三月に一緒に京都旅行をしたメンバーと新年会を催した。場所は銀座並木通りにある「梅の花」。豆腐料理を食わせる店で、あちこちに姉妹店がある。筆者が住んでいる船橋にもあって、何回か利用したことがあるが、味も雰囲気もまあまあなので、気に入っている。ここなら、こうるさい連中にも文句は無かろうと思って、選んだ次第だった。

ビールで乾杯した後、早速それぞれの近況を報告しあった。山子は、やっとの思いで修士論文を書き上げたそうだ。出来栄えには納得しているようなので、無事卒業できる見込みだそうである。六十台半ばにして、経済学修士になるわけだ。最終学歴が慶応の修士課程卒とは、なかなかかっこいいじゃないか、と他の連中は冷やかす。

山子の細君は、夫君が必死になって修士論文を書いている間に、会社の幹部候補生になったそうだ。そうだからと言うのでもないらしいが、最近は疲れ切って遅く帰ることが多いという。そんな折には夕食の支度をするのが億劫になるが、そんな時に限って、夫君が玄関に迎えに出てきて、今日は何を食べさせてくれるのか、と催促するのだという。

落子は、市の生涯学習のプログラムを利用して市民勉強に励んでいるそうだ。年会費6500円で色々な事が学習できると満足している様子だ。年会費6500円とは、そりゃ随分安いね。おそらく資料代の実費分だけで、費用の本体は市役所の補助金かなんかで賄われているんだろうね。

松子は、昨年一年間で30回も、夫婦で旅行したそうだ。累計すると100日くらいになる。これでは芭蕉も顔負けだね。日々旅にして旅を栖とす、じゃないか。よほど夫婦仲がよくないと、こう年がら年中一緒に旅をする気にはなれないだろうね。

小生の近況についても聞かれたので、最近関心を煽られたこととして、ピケティの本についてひとくさり述べた。ピケティがいう「資本」とは、厳密には生産手段としての資本ではなく「資産」というべきで、彼のキーワードたる「資本収益率」というのは、投資した見返りと言うよりは、資産の活用によって得られるあがりと考えた方がよい。ところが、ピケティの批判者たちは、そもそも資本収益率は経済成長率に一致するはずだから、ピケティの議論は間違っているなどと、トンチンカンなことを言う。そういう連中は、ピケティの本をまともに読んでいないのだ、というようなことを述べた次第だ。じゃあ、君はあの分厚い本を読んだのかね、と聞かれたので、いやあ、斜め読みしただけだけどね、と答えておいた。あの本は、理論を展開しているというより、統計資料を羅列しているところが殆どなので、読んでも面白くないのだよ、と。

ピケティの話が出たついでに、現下の日本経済が話題になった。現下の日本経済が格差の拡大に向かって動いていることは間違いない、と言う点では意見が一致したが、アベノミクスの評価については意見が分かれた。特に、金融政策についての意見が分かれた。慶応の経済学修士となる山子は、今の日銀の政策は正しい方向だというのに対し、小生と松子は反対の意見だった。山子は、日銀には景気対策の責任もあるという前提なのに、小生らは日銀の仕事は通貨の価値を守る事であって、今の日銀総裁がやっているような、通貨の価値を毀損するやり方は邪道だという意見だった。この対立の裏には、マネタリズムについての基本的な受け止め方に相違があることはいうまでもない。

その後話題を転じて、先日読んだ漱石の「明暗」の話をした。明暗の最後の場面の舞台となる伊豆の温泉について、漱石は名称を明らかにしておらず、その結果色々な憶測を呼んだところだが、小生は最近、そこが湯河原温泉だという結論にたどりついた。小説の中では、軽便鉄道に乗って行く所となっているので、殆どの人は、現在でも動いている軽便鉄道として、伊豆箱根鉄道を思い浮かべ、そこから修善寺温泉とか湯ヶ島温泉を連想するが、実は、漱石がこの小説を書いていた時期には、湯河原にも軽便鉄道で行くしかなかった。それを指摘したのは大岡昇平で、彼もはじめは修善寺と思い込んでいたのだったが、後に湯河原に変えた、というようなことを言ったら、松子が関心を示して、そうだよ、あの時代には、東海道線は国府津から御殿場方面に曲がっていたので、湯河原には通っていなかったはずだ、などと相槌を打った。

湯河原の話題が出たところで、山子が口をはさんで、湯河原ではないが、その隣の真鶴に非常にうまいものを食わせる旅館がある、食いきれぬほどの海の幸が出てきて、値段は一泊一万ちょっとだ、是非言ってみる価値はあるよ。そういうので、小生も落子も、是非行ってみたいものだと相槌を打った。すると、松子が折れるようにして、じゃあ、僕のベンツで皆を連れてってやるよ、と言い出した。僕のベンツなら、五人ゆうゆう乗れるから。

というわけで、久しぶりにこの五人のメンバーで、真鶴までドライブ旅行をして、旅館でうまいものを食いがてら、隣の湯河原で温泉に浸かろう、ということになった。

この夜の料理については、さしみや牡蛎なども出て、なかなか色とりどりだったので、みな満足した様子だった。山子などは、豆腐ばかり食わされるのではたまらん、と思っていたらしいが、その杞憂が外れてやれやれといった様子だった。酒の方もだいぶ進んだが、いつかの銀座のアナゴ料理屋の席に比べれば、控えめだったといえる。なにしろあの時は、五人のこらず一升酒を飲んだ勘定だったから。








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