橿原神宮、今井町:奈良古寺めぐり(五)

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(橿原神宮)

室生寺の後は長谷寺に寄るつもりなりしが、脚に不安あり、また本堂へ参るには四百級の石段を上らねばならぬと聞いて、とりやめとなし、橿原神宮に向かふ。

神宮の神域は、神武天皇稜に接し、頗る広大なり。また、神社の雰囲気も森厳そのものにして、人を寄せ付けざる風情あり。この神社は、明治政府が天皇制の神格化を目的として造営せるものにて、まさしく国家神道の象徴たる施設なり。国家神道なるものは、薩長を中軸とする明治藩閥政権が、支配の装置として考案せるものにて、いはば権力の化身といふべきものなり。今、眼前にその威容を見て、改めてそのことを感ずるなり。

神社周辺に食事する施設なし。たいして空腹も覚えざれば、橿原神宮駅前よりタクシーに乗り、今井町に至る。まづ、今井町まちつくり交流センターといふところに立ち寄り、この町の由来を尋ぬ。この町は、中世末期における念仏衆の寺内町として形成せられ、爾後、織豊時代、徳川時代を通じて一定の自治権を確保しながら、独特の町人文化を維持したる稀有の町なりといふ。念仏衆による自治都市といふ点では、石山や加賀と似たり。されど他の都市がほとんど権力につぶされたるなか、この町は長く町人の自治を確保したるなりといふ。

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(今井町の街並)

町は東西600メートル、南北310メートルにわたって広がり、周囲に濠をめぐらす。濠の内部は、狭隘なる道筋いくつか交差し、それに沿っておびただしき数の家屋密集す。その街並にはいまだに近世以前の面影を残すものあり。地元住民はこれを誇りとし、この貴重な眺めを歴史遺産に指定し、いまなほ保存行わるといふ。

域内の狭隘な道に沿って歩き回るに、ほぼ全域にわたって古民家保存せられてあり。その徹底ぶりに驚愕せしめらる。さながら近世初期そのままのたたずまひを見るが如し。ひとつ印象に残りしは、かくも密集して立ち並べるにかかはらず、建物の境界にうだつを見ざることなり。かくては、一旦火の手上らば延焼に歯止めなしと思はれたり。

一画に称念寺なる寺あり。門徒宗の寺なり。門徒らはこの寺を中心にして堅固な信仰共同体を形成し、交易やら産業に励みたる由。歴代の政権がその存在を大目に見しは、彼らの経済力の賜物といへるべし。

また、今井まちや館といふものあり。館の斜向に民家を改造せる蕎麦屋(古伊といふ)を見かけたれば、そこにて昼餉をなせり。時に雪また降り来る。

八木西口駅より近鉄電車に乗り、西大寺にて乗り換へ、四時頃奈良に戻る。疲労なほ進めるを感ず。

夕餉は、近鉄奈良駅近くの東向通りに面する飛天なる中華料理屋にてなす。ほどほどのコース料理を注文せんとするに、コースは二人以上の客に限るべしと、なかなか強気なり。反発するのも大人げなしと思ひ、ふかひれのスープを始め単品料理五点を注文せしが、一皿のあたりの分量半端ならず、食ひきれずして止む。

ホテルに戻るころには疲労極度に達し、ソファに横ざまになるや、そのまま寝入りたり。しかして四更を過ぎるまで目覚めず。








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