普通の国とは何か

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安倍政権による、超憲法的というか脱憲法的というか、要するに憲法が想定しないような動きが加速度的に進んでいる。集団的自衛権の法理に基づく自衛隊の武力行使への前ノメリな動きは、その最たるものであろう。安倍政権は、これを合理化するのに、「普通の国」という理屈を持ち出している。普通の国のあり方というのは、憲法以前の、普通の国のあるべき状態をあらわしたものなのだから、あたかもそれは、憲法を超越する論理だと言わんばかりである。

安倍政権が、こう言うわけは、日本国憲法を国是とする今の日本の国のあり方を、普通の国のあり方とは違っていると考えているからだろう。たしかに、国際関係について言えば、日本国憲法の理念は、他のどんな国とも異なっている。戦争放棄と、それと抱き合わせの、戦力の放棄を定めた憲法を持つ国は、他にどこにもない。ということは、日本は、この面では、非常にユニークな国なのであり、したがって普通の国ではないということになる。

しかし、それがおかしいという安倍政権の理屈は、果して正しいのであろうか。普通の市民として、この問題を考えるには、日本がこれまでにたどってきた過去の歴史に対する想像力が無ければならないだろう。日本の近・現代史についての理解や想像力を度外視すれば、日本の国のあり方を、歴史的な制約にとらわれず、自由自在に論じることはできる。そういう議論の枠組の中でなら、普通の国のあり方という考え方には、非常に強い説得力が伴う。

しかし、日本国憲法の制定過程と、それが戦後70年にわたって日本国民に受け入れられてきたことを考えれば、日本が、いわゆる普通でない国となり、その後もそうあり続けて来た理由がわかろうというものである。日本が普通でない国であり続けてきたことには、それなりの強烈な理由があったのである。だからいま、日本を普通の国にしたいと、安倍政権が言うなら、普通でない国であった当の事情が、変ってきたのだということを国民に説明し、その上で、憲法の改正をすべきであろう。このどちらのプロセスをも省いて、なし崩し的な形で、日本の方向性を変えようというのは、邪道というべきではないのか。

ではその、日本が普通でない国となり、また今までそうあり続けてきた事情とは何か?

ここでは9条に特化した議論に限定するが、この規定が制定されたのは、戦勝国である連合国(実質的にはアメリカ)が、敗戦国である日本に対して、武装解除の一環として行なったということは、疑いえないことだ。普通は、こういう一方的な措置は、強い反発を受けるものだ。日本国憲法の発布時には、日本はまだ敗戦国として従属した立場にあり(独立もしておらず)、戦勝国の言いなりにならねばならない事情があったから、いやいやながら受け入れたのだとしても、独立を回復し、戦後の復興から回復する過程で、当然これを改正し、日本が普通に戦争をできる国になる道はあったはずなのだ。というよりむしろ、そうなるほうが自然だったのである。ところが実際にはそうならなかった。日本国民は引き続き、普通の国でないことを選択し続けてきたのである。

何故、日本国民は、そのような選択をしてきたのか。このことを十二分に考える必要がある。でないと、問題を曖昧にしたまま、国の方向が時の政権の意向で変えられてしまうことになる。その結果、気が付いたらとんでもないことになっていた、ということにもなりかねない。

この、気が付いたらとんでもないことになっていた、というのは、笑いごととして言っているのではない。70年前の日本人の殆どすべての人たちが、実際にそのような思いをしたという事実があったのだ。そういう事実があったからこそ、日本国民の大多数は、爾後、普通の国になることによって自分たちが蒙る可能性のある災厄を思い、普通の国になることに対して、抵抗を示してきたのではないのか。

気が付いたらとんでもないことになっていた、というのは、70年前に日本人が蒙った想像を絶する災厄を説明するのに、最も実態にあった言葉だろう。15年戦争が始まった時、日本国民の大多数は、政府の戦争方針を支持した。真珠湾の奇襲で零戦がアメリカ海軍を叩いた時にも、日本国民は喝采した。なにしろ日本は、日清戦争以降、対外戦争で負けたことがない。今度もまた勝つに違いない。何故なら日本には神風が吹いているから。そんな気持ちから、大多数の日本人は、熱狂とまではいわないまでも、満腔の気持ちを込めて政府の戦争方針を支持したのである。

しかし、である。気が付いたらとんでもないことになっていた。何しろ310万人の日本人が殺され、数十万人の日本人がスターリンの奴隷にされた。国土は空襲で無残に破壊され、人々は生活基盤を失って右往左往した。その時の、多くの日本人は、何故こんなことになってしまったのか、それぞれ自分なりに考えたに違いない。そしてその理由の主たるものを、政府の無責任ぶりと国民の事なかれ主義とに帰したのではないか。特に、戦争を遂行した連中の無責任ぶりには、国民の怒りが集中した。その無責任ぶりの象徴としてよく言われたのは、ソ連参戦時の関東軍や政府機関の対応ぶりだ。ソ連が参戦して満州の日本人が絶対絶望の危機的状況に追いやられた時、真っ先に脱出したのが満鉄や関東軍の家族であり、一般の日本人は見捨てられた。そのほか、南方戦線で死んだ兵士の大部分が餓死であったことなどが明らかになると、日本政府の無責任ぶりは、一層際立つようになった。

こういう事情があったからこそ、戦後の日本人は、もう戦争はコリコリだ、と考えるようになったわけであろう。そういう人たちが、まだ社会の土台を支えていた間は、どんなに戦争好きな政権と雖も、迂闊に普通の国になりたい、つまり、再び昔のように戦争ができる国になりたい、とは言い出せなかったのであろう。

しかし、日本人の人口構成もだいぶ変わってきた。そこで、そろそろ普通の国になりたいと言っても、あまり強い反発は食わないかもしれない。そう政権が考えるようになるのも、ある種避けがたい趨勢なのかもしれない。

だが、趨勢だなどと言って、政権のやりたいことを、やりたい放題にやらせるのには、危険が伴う、ということを、日本国民は肝に銘じなければならない。

昭和史 






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