いつまでも君とともに:安倍総理の愛の米議会演説

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安倍晋三総理の米議会演説を新聞で読んで思わず吹き出してしまった。まるで、ラブレターを読んで聞かされているような気がしたからだ。いい男が、自らの切ない心のたけを諄々と述べ立てる。それは自立していない女がマッチョな男に向って、愛を告白しているようにも聞こえた。いつまでも君と共に歩みたい、と。これはどう見ても尋常ではない。

細部をあげつらっても仕方がないから、ここではひとつだけ印象を述べたい。それは、アメリカに対する卑屈と、アジアに対する尊大さが、安倍総理の中で融合しているということだ。

安倍総理は、先の大戦に「痛切な反省」を表明する一方、アジア諸国に対しては、謝罪の言葉を一切言わなかった。この「痛切な反省」にしても、うがった読み方をすれば、アメリカとの無謀な戦争をしてまずかった、という意味に聞こえるから、アメリカに対する反省の言葉として捉えることもできる。ということは、安倍総理はアメリカへは最大限の気配りをする一方、アジアにはほとんど無関心で応えたということだ。

筆者などは、これでは逆ではないかと、素朴な疑問を持つ。日本がアジアに対して侵略戦争や植民地支配を通じてひどいことをしてきたことは歴然としている。一方、アメリカとの戦争は、国際法的に見れば、国と国とがそれぞれ主権をかけた対等の戦争だったということになる。だから、勝った方が負けた方を一方的に裁くのは正義に欠けていると言えなくもない。真珠湾の奇襲だとかバターン半島での捕虜虐待とか、細かい点では日本に非があるにしても、大局的に見れば、日本とアメリカとの戦争は帝国主義国同士の対等の戦争であったわけだ。その戦争において、日本はアメリカに対して、人道に反する罪に相当するようなことは行っていない。それを行ったのはアメリカの方だ。東京大       空襲では10万人もの市民を殺し、広島・長崎への原爆投下で30万人もの市民を殺した。この戦争で裁かれなくてはならないのは、むしろアメリカだと言ってもよい。そんなアメリカに対して安倍総理は、まるで日本だけが一方的に悪うござんしたと卑屈に出る一方、アジアに対しては無関心を決め込んでいる。

これは人間として、やることが逆なのではないか、そう筆者は素朴に思うのだ。本来なら、アジアの人々に対してひどいことをしたについての謝罪をし、アメリカに対しては、そんなに卑屈になる必要はないのだ。








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