弁証法的一般者:西田幾多郎を読む

| コメント(0)
西田の(中期以降の)思想の最も大きな特徴は、再三言及したように、一般者の自己限定によって個物及び個物からなる世界全体が生じるというふうに考えることにある。判断的一般者が自己限定することで自然界が、自覚的一般者が自己限定することで意識界が、叡知的一般者が自己限定することで叡知的世界が生じる。ところが、晩年の西田は、これとは別に弁証法的一般者という言葉を多用するようになる。これは叡知的一般者以下の従来の一般者の概念に完全にとって代わるようなものではなく、一般者というものを、個物とのダイナミックな関連において捉えなおした、いわば操作的な概念である。

西田がこのような概念を持ち出してきた背景には、人間についての見方が変ったということがあったのだと思う。以前の西田は、自覚的一般者が自己限定することで意識界が生じると言っていたわけであるが、個別の人間はこの意識面で代表された非常に抽象的な存在であった。ところが現実に生きている人間はそんなものではない。個別者としての人間は、一般者によって限定されるだけの受け身のものではなく、逆に一般者に働きかけ、一般者を限定するものでもある。それは、人間が抽象的な存在ではなく、身体を伴った生きた存在として、社会や歴史に働きかけることから来る当然のことである。つまり、人間とは、社会的・歴史的な存在なのである。そのことを西田は、次のように表現している。

「我々の個人的自己というものも、単に個人的自己として考えられるのではなく、社会的・歴史的に限定せられたものとして、有ると考えられるのである」(西田「弁証的一般者としての世界」)

このように西田が、人間を社会的・歴史的存在として捉えなおしたことの更なる背景には、マルクス主義の影があるのだと思う。晩年の西田は、弟子格の戸坂潤らからの挑発もあって、人間と社会との関連を、ダイナミックに捉えようとする視点を意識し始めた。従来の西洋哲学の伝統では、人間とはとりあえず意識の担い手として捉えられ、その意識としての人間が自己をとりまく外部世界とそれこそ外面的に交渉するのだと考えられてきた。まず意識としての個人があって、しかるのちに個人を取り巻く外的世界というものがあったわけだ。西田はこの考え方を改めて、人間とは社会的・歴史的存在として、始めから社会によって限定されたものだと考えるようになったわけである。

「個人というものがまずあって、それから言表というものが成立するというのではない。個人というものは、かかる世界の自己同一的限定として考えられるものに過ぎない。我々の意識はかえって社会的意識から始まるのである」(同上)

このように西田は、人間の個人的な意識と社会的な意識とを相互に限定しあう弁証的な関係にあるものとして捉え直したうえで、その社会的な意識のレベルを弁証法的一般者といったわけであろう。弁証法的一般者と云うのは、個物を一方的に限定するのではなく、個物によってかえって限定せられもする。このように個物と一般とが相互に否定しあい限定しあう関係を西田は、弁証法的という言葉で表現した訳であろう。

それでもなおかつ、個物と一般との関係においては、一般のほうが主導的な役割を果す。そこは西田の西田らしいところで、世界をあくまでも、場所としての一般者が自己限定して成立するものだとする従来の考え方の延長線上に、あくまでとどまっている。

「意識というのは各人に属するものではなく、一種の公の場所でなければならない。各人の意識というものはかかる意識面の個別的に考えられたものである」(同上)

このような前提のもとで西田は、弁証的一般者と具体的な人間としての個物との、それこそ弁証法的な相互関係について考察を進めて行くわけである。その際にも、人間を歴史的・社会的存在とするマルクスの見方を大いに意識することになるだろう。







コメントする

アーカイブ