安倍首相の戦後70年談話:対米遠慮と靖国史観の狭間で

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安倍首相の戦後70年談話は、予想されていたほど挑発的・攻撃的ではなかったが、かといって謙虚で抑制的とも言えなかった。それは多分、東アジアでの緊張の高まりを望まない米国への遠慮と、国内の右翼勢力への気遣いとが相まって、そうさせたのだろう。

言葉の上では、侵略、植民地支配、反省、おわびといった言葉を使っているが、それらは歴史の一般論としてであったり、過去の談話の引用を踏まえたコメントであったりして、安部首相みずからの言葉としては伝わってこなかった。一方、「あの戦争には何らかかわりのない私たちの子や孫、その先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と延べ、もはや先の戦争に関して日本が謝罪するのは御免だとする姿勢が伝わってくる。それ故だろう、日頃靖国史観を喧伝している右翼の学者も、この談話には一定の満足感を示したほどだ。

この談話が(この手のものとしては三千字以上と)異常に長くなったのは、談話の前提としての歴史認識について、安倍首相自身の立場をある程度説明したかったからだと思われる。その説明は、いきなり、「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」と始まるので、この先どう展開していくのかと、聞いているほうはびっくりしたと思うが、その先で、「日本は世界の大勢を見失って・・・進むべき進路を誤り、戦争への道を進んでいきました」と続いていくので、幾分かは軌道修正されたと思う。しかしこれは、はからずも安倍首相自身の修正主義的な歴史観が覗き見えた部分として、今後注目されるだろう。

こんなわけで、この談話は、中国や韓国への一定の配慮とそれを通じての米国への遠慮を見せながらも、日本国内の右翼勢力への配慮も示していると言えよう。この談話がきっかけになって日本国内の歴史修正主義(=靖国史観)は勢いづくだろうと思う。日露戦争がアジアやアフリカの人々を勇気付けたとすれば、大東亜戦争は、欧米帝国主義からのアジア解放の戦争であったという、靖国史観の中軸となる主張に飛躍することは、そうむつかしいことではない。





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