京都祇園祭の旅その一:高台寺

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(祇園祭山鉾巡行)

余は幼少の頃より祭好きにて、東京の祭はほぼ見尽くせるといへども、京都の祭は見たることなし。なかでも祇園祭は、足腰の立つうちに是非見物せばやと思ひをりしところなり。その思ひつひにかなひ、この夏(平成廿七年)京に一人旅をなして、祇園祭の後祭を見物す。前祭は混雑甚だしと聞き、しかも未だ梅雨の明けぬ前のことなれば、雨にたたらるる恐れもあり。後祭ならば、梅雨明け後にて、しかも前祭に比すれば混雑も甚だしからず、と思ひたればなり。

ホテルの手配をなせしは昨年暮れのことなりしが、その時点にして大手・有名旅館はことごとく満員なり。後祭といへども、膨大な数の観光客を吸収することにおいては、前祭にさほど劣らざるものの如し。

されども、京都駅前の交通至便なるホテルに予約するを得たるは幸ひなりき。アパホテルといひて、京都駅前烏丸塩小路交差点の北東に位置す。京都駅より徒歩三分ほどの所なり。ビジネスホテルなれど、短期滞在には不足なし。ここを拠点に、祇園祭の見物に赴き、また寺社巡りをなさんとは思ふなり。

以下、例によって旅の印象を記録す。名づけて京都祇園祭の旅となす。

七月二十三日(木)午前八時三分発のひかり号に乗り、十一時前に京都駅に到着す。朝方より降り続ける雨は京都に着く頃やむ。予約せるアパホテルは駅より至近の距離なれば、そこに荷物を預け、地下鉄に乗りて市場烏丸に至る。錦小路にて適当なる食堂を見つけ、昼餉をなさんとてなり。元蔵なる京うどんの店に入る。きつねうどんと穴子寿司を注文するに、巨大なる油揚皿をふさぐが如くにうどんの上に覆ひかぶさりてあり。九条ねぎも添へられ、味なかなか良し。

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(浄妙山)

食後烏丸通りを横切り、後祭の山鉾を巡見す。蛸薬師通り沿に、橋弁慶山、鯉山、北観音山、南観音山、六角通り沿に八幡山、黒主山、浄妙山、三条通り沿に鈴鹿山、役行者山、また四条通の南側に大船鉾をそれぞれ見物す。雨のためにや、それぞれの屋台は飾り付けを施さず、骨組の周りに提灯を吊るすのみなり。

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(大船鉾)

この日見物せる山鉾十機のうち、山が九機、鉾が一機なり。山と鉾の相違はいづこにあるといふに、鉾は屋根の上に長大なる鉾をいただくにあり。されば南北観音山の如くに、外見は鉾に似たれど、鉾のかはりに松の木をいただくものは鉾とはいはず、山といふなり。また、大船鉾のように、屋根の上に鉾をいただかずして鉾と呼ばるるもあり。

巡見の傍ら一軒の文房具屋に立ち入り、手作りの帳面を求む。洒脱な作りの小物にて、旅先の備忘録に重宝すべし。値一冊二千円なり。

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(石塀小路)

四条烏丸の交差点よりバスに乗り、祇園の停留所に至る。八坂神社の正面なり。そこより歩みて高台寺に至らんとす。先年例の諸君と京を旅せし折、高台寺に隣接する旅館に宿泊しながら、高台寺を訪れざりしかば、残念に思ひをりしなり。東山安井にて石塀小路の狭き路地に踏み入る。先年は高台寺方面より東山安井方面に抜けしが、この日はその逆をたどるなり。順逆視点を変へれば、眺めも自づから変化するなり。

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(高台寺傘亭・時雨亭)

高台寺は秀吉ゆかりの寺にて、秀吉の正妻おねが秀吉の死後徳川氏の許可を受けて創建せし寺といふ。この寺の真髄は茶亭傘亭・時雨亭なり。小高き丘の上に並び立ちてあり。傘亭は平屋にして閉鎖的、時雨亭は二階建にして開放的の対照あり。その二つの建物を屋根つきの土間廊下でつなぐ。他には見られぬ意匠にて、小堀遠州作と推定せらるるなり。近づきみるに、風化進み、いまにも崩れなんとす。

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(高台寺庭園)

一方庭は手入れよろしく、すがすがしき印象なり。方丈に上るに、百鬼夜行絵図なるもの展示せられてあり。一つ目小僧や赤鬼なんど懐かしき化物ら画面よりはみ出んばかりに跳躍してあり。

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(円徳院)

円徳院なる塔頭に立ち入るに、ここにも幽霊図を飾りてあり。この寺は化物・幽霊の類に縁があるにや。ここは堂内より庭を眺め下ろすやうに工夫せられてあり。南北二つの庭あり。南庭は石庭なり。北庭は山水を巧妙に配置せり。

再び石塀小路を潜り抜けて大通りに出で、京都駅行きのバスに乗る。しかして三時頃にホテルに投ず。今回は体力の消耗を考え、無理を禁ぜんと思ふなり。








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