川内原発の再稼働に見る無責任の構図

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川内原発の再稼働が決まり、およそ二年ぶりに原発ゼロの状態に終止符が打たれる。しかし、再稼働を巡る一連の事態を見るかぎり、安心しているわけにはいかない。そう思うのは筆者のみではあるまい。

再稼働には安全性への疑義が拂拭されるのが前提だと思うのだが、どうもこれがあやふやだ。安倍晋三総理大臣は、世界一厳しい安全基準に照らして原子力規制委が判断したのだから安全なのだ、と言っているが、当の原子力規制委の田中委員長は、規制基準は「原子力施設の設置や運転等可否を判断するためのもので、絶対的な安全性を確保するものではない」という趣旨の発言を繰り返している。

また、事故が起きた場合の避難等の計画についても、十全だとはいえないとの指摘がある。地元の鹿児島県は、この計画作りに当って、政府が安全だと言っているから安全だ、というような理屈で住民を説得したそうだが、それは自分たちが原子力の安全に当事者意識を持っていないことの現れだろう。

結局、誰が責任を取るのかと言う疑問には、事業者である九州電力がとるというのが結論のようだが、原発事故の責任を一電力事業者がとれないことは、福島が証明したとおりだ。

つまり、今回の原発再稼働の動きは、相も変わらず日本の無責任体質の構図そのものだと言ってよい。

安倍晋三政権が、原発への国民の不安や無責任なやり方に対する批判を無視してまで原発再稼働に前のめりなのは、エネルギーの確保よりも日本の原子力技術の温存ということに強い関心を抱いている事のあらわれなのだろう、どうもそんなふうにしか受け取れない。メディアの中には、原発は抑止力になると主張するものもあるが、安倍晋三政権も同じ考えを共有しているのではないか。それならそうと、はっきり言った方が、政治家として誠実な態度というものだ。






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